2008年03月24日

春の雨(リハビリ−介護の工夫)


介護には肌ふるること多し春寒し
介護には工夫の多き梅見せる
 
春の雨といってもちょっと寒い感じてある。濡れて帰ろうとはならない、でも一応春の雨とすればそんな感じになる。介護はスキンシップが多くなる。肌と肌が触れ合うことが多い、リハビリにしてもそうである。ここで問題になるのが相手が人間だから機械的にできない面がでてくる。でも実際はオムツでも口の中の殺菌掃除でも機械的にやっている。今日はゼリ−を口から食べたし味がわかったのだから生きた心地がしたかもしれない、胃ろうでは味も何もない、最近では犬まで胃ろうししているのだから驚く。犬も介護される時代である。介護には工夫がありうるしいろいろやることがある。ある人のいうように、口から食べられるのに食べさせない、オムツははずせるのにはずさせない、寝たきりにする、自力でやれるのにやらせないようにする。確かにそういうことがありうる。例えば平らな畳のようなところでゴロゴロしたいとか言ったのもわかる。ベットでは柵があり狭い空間に縛られてしまう。特に手袋で柵に縛られているから余計にそうなのだ。ではなぜそうした介護ができないのかというと人手と金が足りないからである。そうした介護のベッドや場所や人を配置できないのである。本当はそうしたいい介護をしてくれるところが必要なのだがそれをしてもらうとなると大変である。家でやればいいとなるがこれもみんなできるものではない、誰かが一日中そばにいてめんどう見る必要がでてくる。現実夫がつききりで介護している人がいるからそういう人はできるかもしれない、いい介護をしようとすると大変な労力が必要になってくるのだ。
 
明日は粉瘤の手術となるのか、痛いので嫌である。ここ三十年は体が弱くても医者にかかったことがほとんどなかった。どうも今度は医者の世話にならざるを得なくなってきた。直るものならいいが老人の病気は治らない場合が多いので困るのだ。80以上になったらほとんど直らないのが多い。慢性疾患になってしまう。それにしても隣の認知症の女性はますます言っていることがわからなくなっている。声も小さく言っていることは余計わからなくなっている。体の悪さが脳にもさらに影響している。ただ病院ではみんな老人は認知症の症状が一時的にでてくる。誰もいないのにみんな家でしたことを一人で話しているのだ。ここが病院ということがよくわからない、家が現実に生活する場所であり病院にきてもその延長なのである。しきりに二階がどうだとか家のことをみんな言っているのはそのためである。
 

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