2008年03月24日

鎌倉の海−実朝の歌の意味


鎌倉の海−実朝の歌の意味


鎌倉の沖の浪荒れ実朝の若くして死す春嵐かな

難破せし大船なれや実朝の望みを砕く荒き波音

実朝の心や春の風荒し鎌倉の沖に揺れし船かな
 
鎌倉と関東とみちのくとのつながりは深い、平泉を滅ぼしたのが鎌倉幕府だったし鎌倉時代は画期的な政治の変革期だったから文化も変革された。現代の宗教もほとんど鎌倉時代を基にしている。その前は平安仏教であり貴族の仏教だった。庶民の仏教となったのは鎌倉時代だった。なぜ平家が鎌倉武士団に敗れたのかというと和辻哲郎は関東武士の共同体の強固さにあったと言う見方に同調する。これはロ−マがゲルマン人を恐れたのと同じである。武士の主従関係とか強固な共同体があったからこそ平家と戦うことができた。平家の主従関係は関東武士より弱かったのである。共同体というとわかりにくいけど中国はあれだけの大国でもなぜあれほど太平洋戦争中がただ各国の食い物にされるだけだったのか、国としての共同体が崩壊していた。あまりにも大きい国ゆえ団結することができなくなっていた。今でも中国は大きすぎて強固な共同体を作ることがむずかしい国なのである。あまり同胞意識が育たない国である。だからいつ分裂国家になるかわからない危うさがある。
 
ここで注目したのは鎌倉の海であり鎌倉の海は瀬戸内海とは違う、やはり沖は太平洋の荒い海であり危険な海である。伊豆七島があってもそれは瀬戸内海の島とはあまりにも違う、瀬戸内海は内海であり鎌倉の沖は太平洋なのである。鎌倉で船を造って中国まで行こうとするとその頃まだ無理があり挫折したのである。船にはそうした挫折する物語が多いのだ。榎本艦隊も宮城県の松島の港により函館を目指したがその壮図はならず海の底に沈んでしまった。戦艦大和も巨船であったがそれはほとんど使用されず海の藻屑と沈んでしまった。日本の船の航路はほとんど乗った。九州から鎌倉に来たとき海は荒れていた。その時は秋であり伊豆七島の一部が見えたのは感激だった。鎌倉からみちのくへと近くなる。鎌倉とか海や船をテ−マにしたもの書こうとししていたのだがいろいろあって書けなくなっていた。
 
大海(おほうみ)の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも

箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ
 
この二つの歌は有名だけど一方は自らの無念の死を暗示した暗いものであり一方は明るい感じがする。箱根路は急峻だからそこをやっと越えて沖の小島による白波にほっとした。しかしこれを実朝の全人生から解釈するとこうした平安の時は少なくこの時のみ心の平静があったのかもしれないとも解釈される。権力闘争の荒波に沈没させられたのが実朝だったからだ。なぜ「ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」の大津皇子でも実朝でも啄木でも後世の人の心に訴えるのか、それは歌の力もあるのだがその実人生の波乱の一生にあった。それは大津皇子でも啄木でもあまりにも若い死が一層その歌をひきたたせているのである。実朝も37才で死んだ、そういう悲劇性がかえって後世のものに訴える。90まで幸福に生きましたとなったらその死をあまり惜しむ人は少ない、そこに人生の価値の逆説がある。高齢化の時代は逆にいつまでも惜しまれということは少ない、つまり人生の価値は年齢では計れない、若くして死んでもそれ故にいつまでも惜しまれ人はいる。なんだか訳のわからない戯言を言い続けている認知症の人は何なのか?その人の生きている価値を疑ってしまう。若くして死んだとき何か成しえざるものが大きく残されてそれが死んでしまったので一層無念となる。啄木は天才だから成したことが山ほどかかえてあえなく死んでいった。渡米もしたかったができなかった。今なら簡単なことでもできなかった。その成しえざることの重みが歌として残されているから訴えるのである。
 
今簡単に成しえることは過去には成しえなかったのである。だから若い人が何であれ自殺するのはもったいないと思う、せっかく命をもらい過去に成しえぬこと海外旅行だって簡単にできるのにそういう成しえず死んだ人から見たらなぜ死ぬのかとなる。戦争で死んだ若い人たちもなぜ死ぬのか俺たちは生きたくてしょうがなかったのにとなる。若いというだけで老人から見ればどれだけ価値あるものなのかも実感していない、若さを失った老人から見ると若いというだけでうらやましいかぎりなのである。いくら老人が金があっても若さをとりもどすこと青春を取り戻すことは不可能だからだ。だから命を無駄にすることはこうして無念に死んだ人たちをかえりみるとき罰当たりなことになるのだ。「俺はいきられなかった、お前は生きてくれ、やりたいことをやってくれ・・・」80才になって日本一周して死んだ自転車老人がいたのもそのためである。そんな歳になってまで死んだ戦友に励まされて自分のやりたいことを実行した驚きがある。無念にあまりにも若くして死んだ戦友のことが忘れられずにそんな歳になって実行した。ここに命に対する意識の相当な違いがある。若くして死んだ戦友を目の当たりにしているからこそ自らも命の価値も知りやりたいことをその歳で実行したのである。結局事故で死んだのだが成仏して俺はやったぜと戦友の元へ帰って行ったのかもしれないから満足だったとなる。

 
(鎌倉の海)
http://www.musubu.sblo.jp/article/3831541.html
posted by 老鶯 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉-俳句短歌-随筆
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