2015年05月13日

台風の風で藤の花散る (台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


台風の風で藤の花散る


(台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


shinoburedooooo123.jpg

風荒く藤の花散るここにあれ穏やかなるはしばしの間かな

白藤のかそけく散りぬ我が家やかたえに咲くはしのぶれどかな



台風の風で藤の花は散った。今朝は地震だった。それもかなり大きかった。
体感的にはこの辺は震度4に感じた。
それが不気味だったのは3・11と同じゆれ方だったから怖かった。
他の人もそのことを言っていたから体感的には怖いものだった
震度はあくまでも目安であり隣合う市町村でも違っている。
震度より体感の方が正しかったということが3・11では言われた。
田から震度という数字だけでは地震は計れないのである。

今日は夏である。今年は夏が早いのである。
台風もすでに6個とか発生している。
やはり温暖化の影響なのか?
とにかく公園の藤の花の下に休んでいたのは二日くらいだった。
これもたちまち散ってしまった。
花は散るのが早い、一時咲いて散ってゆく
藤の花だとまだ長く咲くように思っていた。
だからこんなに早く散るのかと思った。
穏やかに藤が垂れていたのは短かった。
たちまち嵐が来て散ってしまった。

何かこの七年間はそういうことが一身上でもつづいた。
変わりやすいのである。
穏やかに藤の花が垂れて咲いているなと思ったらたちまち散ってしまった。
昨日は近くの同じ年の人が死んで驚いた。
晩年になれば同世代の人が次々に死んでゆくからその人について考えることもできなくなる
あの人はテレビに出ていたなと思ってもすぐ死んで忘れる
今有名な人もほとんど忘れられると思う。
だから50年後とかにまだ何でも作家でも名前でも作品でも忘れられないのはそれだけの価値があったとなる
死んでから50年後に今有名でもほとんど名前が残っていないからである。
マスコミで名前を売ったような人はほとんど残らないと思う。
テレビとか新聞とかすでに文化はなく大衆用の娯楽でしかないのである。
だから質も相当に落ちている。

ともかくプログはその時その時のリアルタイムの報告である。
だから俳句とか短歌は向いている。
ただ俳句は短すぎて文学として成り立たなくなっているかもしれない
その点短歌はまだ長いから表現として文学として継続される
どうしても短歌の方が出すのが多くなることでもわかる。
短歌にはそれだけ表現する余地が残されているからである。

「しのぶれど」という薔薇の花の命名は良かった。
百人一首からとった、こんな名前にするのも薔薇だからだろう。
薔薇は交配して新種の薔薇が作られ種類も多いからである。
でもこの名前つけた人はセンスがあった。
しのぶれどというとき別に恋だけには限らない
忍ぶ花ということにもなる。
花の見方はいろいろある。一つに固定はできないのである。


 
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