2008年03月16日

夕雲雀


新築の家建つ一軒朝雲雀


築40年春北風唸る家に住む

万作に雀の群れて小庭かな

竹藪に雀騒ぎて眠る春

おぼつかな声ととのえむ初音かな

今日も来る異なる虫や春の庭
 
川下や遠山霞む夕雲雀

築40年というと結構長くなるのが日本の家だろう。これは当時400万くらいで建て大きな昔風の家である。これを姉は自慢していた。その当時ではかなり立派な大きな家で回りから顰蹙をかった。大工の賃金はその当時まだ安かった、あと急速に上がってきたのだ。古代でも大きな家を建てて権力者ににらまれたとか資料が残っているから人間そういうものである。だからこの家を今でものしのしと歩いている感じがする。ここは自分の建てた家だ、のしのしと太った体で歩いている。でもその姉は今や体自体も歩くこともできない、やっと座ることができるがなんとか車椅子にまでのれるのか、それもおぼつかない、健康なときと比べると同じ人とは思えないのだ。認知症になっても体はまだ丈夫だったからそれなりに大きく見えたが今や同じ人とは思えないほど小さくなってしまっている。どんなに強い人でも一旦病気になるとあんなに無惨になる。その落差があまりに大きすぎるからショックだったのだ。
 
良くみると万作の咲く庭があった。近くでも庭を見ると違っているから面白い。ただ高い塀に囲まれていたら他人の庭は見れない、外国では庭も高い塀で囲まれているから見ることはむずかしい。日本はその点垣根の国だから安全な国だから塀で囲むまでにならなかった。雀というと
 
現在伊達氏の紋として有名な竹に雀は、もともと上杉氏の紋であり、この養子縁組の話がまとまったときに上杉氏より伊達氏に贈られた
 
竹に雀が有名であるが今回は本当に竹藪に雀が鳴きさわいでいた。竹藪がねぐらになっていた。紋というのもいろいろ謂われがあるからわかりにくい、ただ竹藪を雀がねぐらにすることは昔からあったから竹に雀となった。川で初音を聞いた。それがまだはっきりしない鳴き声である。
 
鶯の枝ふみはづす初音かな−蕪村

こんな感じであった。川下まで河口の方までゆっくり下がって行ったら山脈が霞み日が落ちてゆく雲雀が鳴いていた。5時過ぎの時点で今まではこんなところうろうろしてしいられなかった。4時半で夕食の仕度だったからだ。今5時までも帰るのに急ぐことはない、ともかくこんなことまでできなかった、余裕がなかった。川下というときこれも当たり前の写生だった。でも広い河口へ通じる川下で霞む山をみて雲雀の鳴く声を聞くのは何か久しぶりである。家からあまり遠くへ離れられないということがあったのだ。介護は特に認知症とかなると本当に余裕がなくなる。代わりの人がいないから苦しい、病院の姑のめんどうをみている嫁は大変だと言っているが誰かに介護はおしつけられる、そして他の人はよそごとで大変ですねとかしか言われないとか認知症になっても差別、偏見であり援助など得られないのだ。今援助が得られたのは体に関して援助されているのだ。言うこときかないからかえって認知症になった方がいいとか言うのには驚いた。いかに認知症の怖さがまだ知られていないかわかる。家族に認知症の人がでないかぎりわかりにくいのである。明日はまた病院通いだ。
 
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