源氏物語歌集 319
巻二十 朝顔 12 源氏
とけて寝ぬ 寝ざめ寂しき 冬の夜に
むすぼほれつる 夢の短かさ
むすぼほれつつ―「むすぼほれ」は「(水分が)凝固する」「(心が)鬱屈する」などの意の下二段動詞連用形。夜床で涙を流し、朝までにそれが凍りつく――という状況が継続している、ということ。
溶けて(溶けて−解けて)は寝ているとむずかしい難問が解けたとかの話を聞く、いろいろな複雑な問題でも晩年には自然と解けてゆくことがある。ここでむずかしいのが・・・むすぶ−結ぶ−ほれつる・・・である。水が氷となって結ぶということだが涙が凍りつくというのも本当にそういう切ない悲しみが凝固して氷となるという深刻な表現なのか?源氏物語は宮廷内のことで庶民の喜怒哀楽とは離れているからわかりにくいしみんな読める人はいない、ただインタ−ネットでは誰か紹介しているものを読むことが多くなるのだ。この歌になぜ注目したかというと
介護して老いのあわれや冬の虹
夢に見し結ぶ心や冬の虹
http://musubu.sblo.jp/article/6902874.html (冬の虹)
私が作った冬の虹と意味が通じ合うのではないかと一瞬思った。晩年、老年は本当に心が結び合うことがあるのではないか?同じ病室の妻を介護するため毎日来ている。食事の世話もするし車椅子にものせるしこまやかに介護している。はたから見たらうらやましくなるだろう。家族でも介護にまれにしか来ない人は自分でも向かいの人からうらやましがられた。結ぶは心が結び合うものとは違う、別なものだがこの歌を解釈すると多少イメ−ジ的には似ている。短い夢であったが冬の虹が一瞬たってはかなく消えた。
虹を見ゆ 寝ざめ寂しき 冬の夜に むすびて消えぬ 夢の短かさ
私の冬の虹の俳句を歌にすればこうなるのかもしれない、これだと意味は違うがやはりにている面はある。夢の短さは共通している。この世の契りも短い夢だったかもしれないからだ。インタ−ネットは一句−一首を通じてその人なりの読みを深めるのに向いているのだ。ある人がなぜある句に歌に興味をもつのか、それはその人の人生体験からそうなるのだ。老人になると特に様々な経験をするから読みが深くなるのである。様々な別離、死別も経験するから読みも深くなるのである。