2015年04月29日

情緒ある弘南鉄道(黒石のこみせ通り) (春と冬をたずねてその土地のことがわかる)



情緒ある弘南鉄道(黒石のこみせ通り)


(春と冬をたずねてその土地のことがわかる)


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黒石弘南鉄道こぶし咲く
境松弘南鉄道夕桜

青森の山間の里知らじかななほ雪残り電車行くかも
春なれど雪の厚きや青森の山々車窓に写りてすぎぬ
駅の名を一つ覚えぬ浪岡や電車過ぎゆく春の朝かな
黒石のこみせを歩みあわれかな弘南鉄道に帰る春かな
松の湯と確かに松あり古りにけるこみせ通りや春の暮かな
黒石のこみせに昔を偲ぶかな買い物をして春となるかな
雪の日に温川(ぬるかわ)温泉に泊まるかなここより遠し春になたしも
黒石より小国は遠き雪うもれトンネルくぐり一度通りぬ
弘前城の雪を踏みにつ古き門入りて桜の根を見て帰るかな
弘前城古木のごとく三つの門雪を踏みしめ帰りし日かな
大館に泊まりしことあり冬の日や汽笛の鳴りて寒き日なりし

城下町時代、秋田から蝦夷・松前へ抜ける街道の中間にあったため、物資の交流など商業が大いに栄えた。豪壮な構えの商家・造り酒屋の妻入りや平入りの屋根のラインが、雪国独特の木のアーケード“こみせ”の上に姿を見せ、独特の景観を見せる。
http://www.jalan.net/kankou/spt_02204ad2150016774/

青森は東北では最果ての国となり情緒がある。青森県は湖があり海があり歴史もありいろいろ変化に富んでいる。鉄道も変化に富んでいる。
そして新青森で乗り換えて弘前に行ったのだがここだけが山間に入り雪が凍り残っていたのである。
やっぱりここは寒いのかとそこだけは最果ての国でまだ寒いからなのかと思った。
その山間をめけると雪はなく春であり今年は暑く夏にもなっていて気候は福島県とか東京とも変わりなかった。気候の変化を感じないから余計に距離感を感じなかった。
ただ十三湖で西風が強く吹いていたときだけ荒涼としたものを感じた。
そこは一四度くらいで寒かった。

黒石は前も一度行ったがこみせ通りには行っていなかった。
それでタクシーを頼んで行ったら松の湯があるところの古い通りとか言ったらすぐわかった。
松の湯のところはそこは工事中だったが松があるから松の湯になっていたのである。
これも地名と場所がぴったりとあいそれがこみせ通りに通じていたから情緒あると思ったこういう情緒はスーパーなどでは作れないのである。
そこには人間の営みとしての歴史があるためである。
歴史は現代では作り出せないものである。長い年月で作られたものだからである。
だから観光するとなると新しい通りはつまらないとなるしスーパーはただ買い物するだけだとなるからつまらない。
あそこを歩いて何か買ったりすると昔の情緒が味わえるのである。
だからあそこで松の湯に入ると癒される、いろいろ温泉をたずねあるいていた人がいた。温泉が熱いのかとしきりに聞いていた。
あれは相当な暇な人でありこれも退職した人であり温泉をたずね歩いているのである。
秘湯をたずねあるいている人もいる。退職した団塊の世代が今は相当に旅しているのである。
金と暇ができたからそうなる。

弘南鉄道もローカル線でありあれで黒石まで行くのも情緒がある。
「境松」とかありそうした駅名と地名がどういうわけか旅では心に残る
黒石という地名も何か青森では黒のイメージになるからあっているのだ。
あそこから冬には温川(ぬるかわ)温泉に行き二日泊まった
途中「小国」という所をトンネルをくぐり一軒宿の温川温泉に着いたのである。
小国という地名はどこにでもある、日本特有の地名である。
それは山深い所に多いのである。
小国というのは一つの国であり昔は自給自足していたからそうした地名が作られたのかもしれない。
福島県でも飯館村へ峠を越えて下がった平坦な盆地のような所が小国となっている。

バス泊まる梨の花咲く小国かな

そこてバスが泊まりしばらく待っていたことがあった。小国町というのもあるから小国という地名は日本全国で多いのである。
雪に埋もれた小国をバスが通ったときこんな奥深い所に人が住んでいて村があったのかと思う。今はどこでも行けるから秘境もなにもなにもない,実際に車でどこでも行けるから秘境などないのである。
秘境と思ったら観光地化していたというのが普通である。
ただ現代の交通の便がいいと何回も行ける、そしてその土地を知るには最低でも春と冬にたずねるべきである。
特に青森のような雪国は冬にたずねて春にたずねるとその風土が実感しやすいのである。冬に行くと全然違った感じになる。
弘前城でも冬に行った時、城内の雪を踏みしめて桜の根っこをみてきた。
そして春に訪れて桜が満開になっていたのを見た。
冬に耐えて一斉に一時桜は咲き散ってしまうのである。
そしてあの古い門が雪で埋まって通れないために高くしたというのも雪国らしいとなる。
弘前城に現存する門は、間口の高さが他の地域の城門に比べて高く作られています。これは、積雪時にも槍を掲げながら門を通過できるようにしているためだと言われています
これも風土であり何かそうした風土によって形成されたものが趣深いものが自ずから生まれる。都会は一様化するからつまらないのである。
どこにいってもビジネスのビルや観光用のものしかなかったらつまらないのである。
弘南鉄道とかあういうローカル線は情緒がある。
でも経営的には苦しい、津軽鉄道もそうである。
ただバスは情緒がない、車窓から見える景色も違ってくる
自分は電車の旅が好きである。バスでは移動したくないのである。
ただそういう恵まれた時は終わった。

今は思い出す旅である。
思い出を編むというかつないで一つの模様にするという作業である。
だからインターネットはそういう思い出す旅の役に立つ
検索できるからちょっとした知識でも役に立つのである。
弘前でコーヒーが薬としてはじめられたというのもそうだった。
旅というのはそうしたちょっとした知識を知っているのと知らないのではまた鑑賞の度合いも違ってくるのである。
だから芭蕉は平泉をその歴史ある場所として事前に調べていてあれだけの紀行文と俳句を残したとなる。
一面知りすぎても旅はつまらなくなるかもしれない、何か知らない意外のものとの出会い、未知(道)との出会いも旅だからである。
必ず旅にはそういうことが起きてくるのである。
決まったルートを行くだけではそうしたことは起きない、たから現代は交通が便利なのだけど観光地をただ回って終わるだけでつまらないとなる。
旅はその過程にあり目的にあるとはなちない、奥の細道は平泉が目的としてもその長い過程にあったからである。






タグ:黒石市
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