2008年03月15日

団塊の世代が介護難民になる高齢化社会


団塊の世代が介護難民になる高齢化社会

 
●早く誰か死んでくれないと施設(特養)などには入れない
 

「早く死んでくれないかな、そうすれば空ができて施設に入れる、いつまで待つんだよ、そんなに長生きさせてどうなるんだ、こっちは在宅で切羽詰まっているんだ、なんとか早く空がほしいんだよ・・・・」
「そういったって死なすわけにいかないよ、今はなるべく一旦入ったら手厚い介護するから余計簡単には死なないから空はできないよ、あんた誰かに死んでほしいのかい?あの入りたい人がたくさんいるので順番があるので入所者は早く死んでもらいませんか?そんなこといえますか?」
「施設の回転率を高くするにはこれ以上の長生きは困るとなるね、みんなが長生きすることは無理なんだよ、大勢の人が長生きすることは国にも負担がかかる、そんなに手厚い介護して長生きさせて金と手間をかけて他に税金を使わないとどうなるのか、若い人から責められるよ」
「これは蜘蛛の糸じゃないか、自分だけ長生きしようとしてあとからあとから這い上ってくる高齢者が団塊が増えてくる、団塊はともかく若い者には重荷なんだからとっととあの世に逝ってほしい、消えてほしい・・・」


団塊世代、特に全共闘でイキがってた方々へ。
あなた方が要介護になっても、私はあなた方を介護してやる気はありません。
将来の税収減少や年金制度の破綻が予測されていますが、そのような状況下で
あなた方を支えられるわけがありません。
あなた方が年老いた時、ボケようがどうしようが放置されることになるでしょう。
そして、可燃ゴミのように処分されることでしょう。
いままで打算的に自分勝手に振る舞ってきたツケが、人生の最後の最後で
回ってくることを、いまから覚悟しておきなさい。


団塊に介護は不要だ
団塊にはのたれ氏にしてもらおう
お似合いじゃないかね


●老人施設は団塊のために増やせない
 
団塊の世代は高校にも入れないとか大騒ぎだった。急に増加する生徒数に高校を新設することが追いつかなかったのだ。それで馬鹿みたいな勉強させられて私の場合は無駄な受験戦争で青春を浪費したのだ。これは私の特殊な事情にしろ団塊の世代は常に席取り競争を強いられた。中学卒はクラスに多く金の卵として集団就職して高度経済成長の一翼をになったのも団塊の世代である。その時は数が多いということが歓迎され経済も好調で人手不足だったから団塊の数を経済界も吸収できたのだ。大学もマスプロ教育で行動に三千人も入って講義を聞いていたのだからやる気をなくした。50人クラスからそんな数の大講堂になるとその差が大きくとまどってしまう。だからやる気がなくなり学生運動に走るのもマスプロ教育が一つの原因だったのである。つまり学生はその時エリ−トではなくなったのだ。東京にものすごい数の学生があふれだした。新宿で石を投げれば学生にあたるとか一日マ−ジャンししていると質の低い学生があふれたのもその頃であった。(私もその一人だった・・)駅弁大学とも言われた。
 
ともかく激しい席取り競争が団塊の宿命だった。電車も満員であり人をおしのけて席をとらなければ座れないのが団塊の世代だった。退職して高齢化してゆくと今度は団塊の世代は施設の席取りが競争になる。これはあまりにも狭き門であり高校のように急増できないし国の経済も下降経済に入ったので介護には金は使えないから施設自体総量規制で増やすことができないのだ。このことが致命的となり介護難民200万人とかそら恐ろしい時代になる。それが自分の家族にもふりかかってきたのだ。団塊の世代は親が80以上でも生きているから介護する人も多くなっている。親を介護したあとは自分の介護が問題となるのだ。まだ今の80以上には戦争で苦労したとか老人に対する尊敬があるが団塊にはないのだ。だから野垂れ死にしろとかやっかいものだとか金食い虫だとかろくなことを言われない、若い人の老人に対する態度は全く昔とは違ってくる。だから長生きすることは確実に悲劇になる。現実孤独死とかも増えているし悲惨な最後を遂げる老人が増大する。誰かが生きる価値、長生きする価値と権利をもつのか?それも蜘蛛の糸のように他者を蹴落として生き延びる他ないのが高齢化の現実になるのかもしれない、施設の席をとれないものは野垂れ死になるのか?そういうことが極めて現実的な問題となるのが高齢化なのだ。
 
●団塊の世代にも化野の無常の時が・・
 
化野の露……人の世の無常をあらわす枕詞だ。古来、この化野では風葬が行われており、うち捨てられた無縁仏が散乱していた。その惨状を嘆いた弘法大師空海が里人に土葬を教え、一宇を創建したことがこの寺の起源である。その後、法然が念仏道場を開いたことから念仏寺と呼ばれるようになった。

あだし野の露消ゆる時なく、鳥辺山の煙立ち去らでのみ住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏のせみの春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)をくらすほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世に、醜き姿を待ちえてなにかはせん。
 命長ければ辱多し。長くとも四十(よそじ)にたらぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん浅ましき
(徒然草)


無常とは突然にやってくる。あれほど元気だったものが肉体も健康優良児のようであり頭も優秀だったと人が一転して認知症になり見る影もない信じられない脱落した姿を書いてきた。老人になると病気などになると突然そうなりやすいのだ。白が真っ黒に反転して高見から急降下して転落して在りし日の姿が見る影もなく消失している姿には愕然としてしまう。「命長ければ辱多し。長くとも四十(よそじ)にたらぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ。・・ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん浅ましき・・・」90まで生きればどうしても恥が多くなる。50が寿命の時代だったら40で死ぬのがいいとされたから人生85才が女性では寿命だとすると75で死ぬのがよく男は65〜70で死ぬのを目安とすればいいのかもしれない、ただ個々には百才までもかくしゃくとして生きる人もあるから一概には言えないが現代の高齢化の問題もあまりにも長生きする人間の無惨さが顕著になっているからそう感じた。いづれにしろ団塊の世代も化野念仏寺の無常が迫ってくる。膨大な団塊の墓の山が築かれる。そして団塊の葬儀がふえたりその方面では経済的効果があったとか言われるだけで団塊の評価は若い人には低いのである。
 
posted by 老鶯 at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/12450583
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック