2006年09月03日

夏の月(六号線)

暇なくも六号線や夏の月

the bright summer moon
at the route 6
with many busy cars


相馬へと初秋の風や松並木

旧街道白と紫の木槿かな

いつも来て日影に淋しソバナかな


六号線は騒々しいけど生きた道なのだ。活きている道は活気があるとなる。
たとえば妻籠とか馬篭は中山道として映画のセットのように昔を再現しているがこれが必ずしもいいとは限らない、それは作られた世界になる。現在が活きてこそ昔も活きる。人間はまず現在を生きる、それがなんであれ現在生きることこそが第一である。いくら過去がいいといっても過去を生きることはできない、現在を生きてこそ過去もありうるのだ。現在を懸命に生きているとき過去の反映も自ずからある。

暇なく車が行き交う六号線はいやでもそこは現在に活きた道だからその中で人も生きているから俳句にするにしても写生とは現在の活きた姿を映しとることである。だから一見俳句にならないようなものでも現在が活きている場所は詩になるのだ。一方に旧街道があり一方に新街道がある、これら両方が必要なのが人間なのである。
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