農民の苦労を刻む大地かも薊の消えて草の枯れにき
薊をテ-マにした句を作ってきたけどその薊が咲いていた場所を歩いたら草は枯れた道になっていた。でもその道で印象に残っていたのは薊なのである。
荒浪に松風鳴りて秋薊
一歩一歩歩む道の辺秋薊
一二里を歩む山路や秋薊
秋風や残るアザミの十数輪
稲刈られ鴉三羽にアザミかな
夏の薊の句もあったが秋から冬へ薊についての一連の句があった。
プログをやって一週間ほどだがわかったことは一つのテ-マごとに分けて書くので季語ごとに分けて整理するのに向いている。読む人も検索あるから前の句を検索しやすいのだ。これは情報を整理するのに向いている。薊については一つのテ-マとして何ペ-ジか書ける。というのはアザミはスコットランドの花でありここの物語も興味もったからである。アザミをテ-マにして俳句とか短歌とか詩を編集してゆくとアザミ物語ができるからだ。プログはRSSもやってみたが情報が整理しやすい、だからこれで旅の俳句など今まで書きためたものを整理してみよう。ホ-ムペ-ジは整理しにくい、自分で書いたものがどこにあるかもわからなくなっているのだ。こういうふうに細切れに書くのがプログだということはわかった。
子規の鶏頭の句について(デジカメと俳句は相性がいい)
http://www.musubu.jp/hyoronazami.htm
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