猫柳(磐余の池に鳴く鴨の今日のみ見てや・・・の意味)
のどかさや鵜に鴎に鴨の群れ
猫柳川にあまたや夕陽かな最一度(もいちど)ここを姉の歩みたしと
人間死ぬときの最後の願いは何なるのか?これは人様々であるが最後にビ−ルを飲みたいといって死んだ人もいる。食べることは最後まで執着するのが人間であるから不思議ではない。姉は毎日この川べりを散歩していた。だからここをもう一度歩みたいというのはわかる。何故なら寝たきりで動けないからだ。寝たきりの人の願いは最も簡単なことである。外を歩きたいというだけである。それができないのだから本人にとっては泣きたくもなるし現実に泣いている。猫柳はこの川からいつもとっていた。一杯猫柳が出始めた。でも今年は寒いのかな、白鳥がまだ帰らない、鵜が川に浮いているのもめずらしい。鴎もたくさんきていた。
盛岡(もりをか)の中学校の露台(バルコン)の欄干(てすり)に最一度(もいちど)我を倚(よ)らしめ (啄木)
これも一つの最後の願いだった。必ず愛着ある場所にもう一度そこにありたいというのはわかる。家に帰りたいというのもわかる。家はやはりその人にとって存在感をもてる場所だったからだ。施設に入っても執拗に家に帰りたいと困らせるのもわかる。認知症になったら同じこと何度もいうしするからとめることができないのだ。
百伝(もも)伝ふ 磐余(いわれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
大津皇子
今日のみ見てや・・・というのが最後に誰もが現実となるのだ。何を今日のみ見てやになるかわからない、でも明らかに老人になったらすでにそうなりやすい、最後が近くなれば特にそうなるのだが先が長くない老人はあらゆるものが今生の見納め別れとなってしまうことが違っているのだ。実際に介護して私も自由が奪われ切実に感じた。ああ、もう旅行もできない、美しい光景も見れない、せめて富士山でも見て死んでゆきたいと本当に思った。介護は自由がなくなる。今でも病院通いでそうである。美しい風景でもいつでも見れるとは限らない、特に外国や遠くになると余計そうである。どんなに自由があり旅をしても人間の見れるものは限られているというのが実感だった。
百伝(もも)伝ふ磐余(いわれ)の池・・・とは大津皇子だけではない、ここは
桜井市の南に古くから磐余(いわれ)とよばれる地がある。天香久山の北側。古代、ここには磐余池という大池があった。そして池のほとりに神功皇后の磐余稚桜宮、第17代履中天皇の磐余稚桜宮(いわれわかざくらのみや)、22代清寧天皇の磐余甕栗(みかぐり)宮、26代継体天皇の磐余玉穂宮、31代用明天皇の池辺雙槻(なみつき)宮などが営まれたと伝えられる。集落の入口に磐余稚桜神社がある
まさに日本史にとっても謂われのある場所であった。大津皇子という一個人ではない、歴史的な場所として百伝う場所だった。千年後でもこの歌が訴えるのはやはり普遍的な人間の真実を歌っているからだ。24才で死んだとしても90才で死ぬにしても人間は最後は必ず・・・・今日のみ見てやで死んでゆくからである。人間が死にこの世と別れてゆくことはすべての人が最後に経験することだからだ。ただあまりにも若くして死んだからこそ余計に痛切なものとして後世に残ったのである。