2006年08月23日

「古池や蛙飛び込む水の音」の意味するもの

芭蕉の有名な句に、「古池や蛙飛び込む水の音」がある。

「古池や」と「蛙飛び込む」と「水の音」となる。古池は、そこに存在する実景であり、「蛙飛び込む」は、変わりゆく変化そのものであり、そして「水の音」は変化そのものの余韻である
http://www.st.rim.or.jp/~success/hiraizumi_basyou_ye.html

江戸時代の背景がわからないとそもそもその芸術も理解できない、現代とどれほど環境が違っているか、それは想像もできない世界になっている。現代はめまぐるしい変化の時代であり絶え間ない騒音の世界である。この違いは余りに大きすぎる。江戸時代までは日本の生活は確かに戦争などがあったがそれが目立つから面白いから取り上げるのであって日常の常民の生活は江戸時代までは日本人は変わらない生活をしていた。沈黙とか電気の明かりのない深い闇の世界に生きていたのだ。だから今とは違って全然違ったものの感じ方をしていた。

「古池」というのは変わらない世界のことである。変わらずに百年もあった古池なのだろう。現代では古池そのものがなくなっている。常に新池になっている。百年も庭に池があるということも考えられないのだ。そういう変わらない沈黙の世界であってはじめて「蛙飛び込む水の音」が意味を持つ、その音が沈黙の中に唯一ひびく、回りに騒音がないからこそひびく音なのだ。自然の微妙な音がひびく、この俳句の背景を実感できない世界に生きているからこの句もわからなくなっている。

古池とか「古 庭 に 鶯 啼 きぬ 日もすがら」蕪村とかの古庭も存在し得ない、庭も次々に作り変えられて新しくなっている。農家にしても江戸時代までは代々何代もつづいている農家である。今でも農家は代々続きやすいがそれでも農家さえ変化の波にさらされ古い農家が継続されなくなっている。変化のない世界だからこそ蛙飛び込む水の音が沈黙にひびき静かな余韻を帯びて心に残る。現代はあらゆるものが過剰な時代である。ニュ−スにしても世界中のニュ−スが毎日入ってくる。世界が関心となるとニュ−スを追うだけで一日が終わる。江戸時代はニュ−スもない、古池がありそこに飛ぶこむ蛙の音が変化を示している。日常の何気ない生活の中に美があり真実がある。ニュ−スは異常なほど異常的なものを追い続ける。この世はその異常なものだけの世界であり日常の平凡な営みは無きごとくになっている。視聴率をあげるためだからそれを望む視聴者にも問題がある。

古池やの古池は平安時代のような貴族の庭ではない、庶民の庭である。ただ江戸時代でも屋敷をもって庭をもっていた人は農家とか商家だからそれなりに裕福な家だったとなる。ただ平泉の浄土庭園の大きな池とか大きな池ではない、そうした池は古庭でも不似合いである。蛙そのものが庶民であり庶民を象徴している。やせ蛙負けるな一茶ここにあり・・・とかも蛙には庶民なのである。だからこの蛙は庶民的な象徴としてもってきたのである。江戸時代は庶民の生活が充実してきた時代である。そこで蛙をもってきた。戦国時代だったら武士が目立つが江戸時代になると平和の時代であり庶民の時代だから蛙が主役ともなる。やせ蛙でも侍に抵抗する気概が生まれつつあったのだ。日本は明治以降余りに変化ありすぎた。大きな戦争も二度あったし戦争が美化された時代であり富国強兵の戦国時代だった。

しかし今は平和な江戸時代に回帰すべき時がきた。それは日本に古来からある古池とか古庭の世界なのである。俳句というのは芭蕉を最高峰として蕪村や一茶を対称的にみると興味深いものとなる。芭蕉は自然に没入する詩人であり蕪村は画人でもあり視覚的詩人であり一茶は人情的詩人となる。これらの性格により蛙の見方も違ってくる。芭蕉は蛙が水に飛び込む音に注目した。芭蕉は耳の詩人、自然に聞き入る耳の詩人というのもそうかもしれない、沈黙の自然に聞き入る詩人であり蕪村は見る詩人なのである。どっちにしろ江戸時代の沈黙の背景があってその絶妙の句も生まれたのである。現代ではもはやそうした句を作ることもできなければ鑑賞することすらできないのである。

話はまた認知症になるが認知症の人にとって環境を変えることが一番良くないというのはわかっている。認知症の人にとっては昔こそが現実である。つまり古池や古庭が変わらない生活が継続された場が必要なのである。ところがこの古池や古庭が次々に喪失してゆくのが現代なのだ。老人の拠り所となる古池、古庭がないからこそ老人にとっては現代は住みにくい場所である。確かに栄養とか医療には恵まれているが環境的には江戸時代の方が老人にとっては住みやすかったのである。濃密な人間関係があり変わらない自然環境があり風景があったからだ。日本人が虫の音など音に敏感なのは狭い国土の中で聴覚が研ぎ澄まされる。江戸時代のような静寂社会で虫の音、蝉の声がひびきわたる。その時車の騒音も全くない世界なのだ。

江戸時代の見方はいろいろあり農民が搾取されていたとか暗黒面はあった。ただ全体的にみて江戸時代は時代として現代の我々の生活に精神的豊かさをもたらすのである。長い平和と沈黙の変わらない世界があったということが安らぎいやしの世界となっている。現代は過剰な刺激で疲弊している。日本人は江戸時代の回帰が必要というとき老鶯の心地よくなくスロ−ライフ社会への変化が求められている。確かに長寿社会は認知症や介護地獄など暗黒面が多いのだがこれも社会が変わるきっかけであり長寿社会への環境が整えられば日本は老人にとっても住みやすい江戸時代のようなスロ−ライフの自然と密着した環境と調和した社会が再び取り戻すことになる。

 
枯山水−石の句−十句
http://musubu.sblo.jp/article/9073853.html
 
ここで書いたのは古池は京都の庭であり蛙飛び込むは新興地の江戸の元禄時代の息吹を伝える

音だった。ここには京都−江戸という二つの新しい時代の息吹を現していたのである。

「古池や蛙飛びこむ水の音」の意味するもの(続編)
http://musubu.sblo.jp/article/69424380.html

これはアクセスがつづいているので続編を書きました
一番人気のペ-ジです

「静けさや岩にしみ入る蝉の声」が現代に問いかけるもの
(沈黙無き文明の音)−
時事問題の深層35へ

http://musubu.jp/jijimondai35.html#semi
 

 失われた原生の鹿の声(蕪村の「三度啼きて聞こえずなりぬ鹿の声 」の意味)
http://musubu.sblo.jp/article/7267972.html

この記事へのコメント
助かりました!
Posted by eri=koro=jeju at 2010年05月05日 23:40
俳句の「古池や蛙飛び込む水のおと」の意味を教えてください♡
Posted by MAIR at 2010年06月20日 20:00
品行方正な文を匿名でしか残せないのは小心者。
低俗な人間の屑の顔も文も視野に入ると、視力が悪くなるか、目が腐ってきます。
ですので、サングラスをかけ専門家に委ねましょう。尚、メールなど漏洩は同等と思われる私利私欲の塊でカルト教団及び同列類の一部の人間は自ら見せていたようです。
一気に公開したいのですが、それはマスコミの役目です。
世界中の皆さまへ
自分の知り合いになりすました、こういう手の詐欺師が医療や福祉にも手を出して魔の手を広げております。不治の病だろうが病人にさえ近づき詐欺も平然と行う人間性に理性や良心を求めても馬鹿を見るだけです。被害に合われたら形ある証拠を残し、泣き寝入りしないでください。こういう人間を放置すると、今迄自分が築いてきた人間関係も財も奪われてしまいます。巧妙な手口、饒舌さに騙されず温情無しと判断して下さい。
尚、私の経験も犯罪防止の為の情報としてお役に立てる日がくるでしょう。暫く、お待ち下さい。

Posted by ●●●ご安心を!●●● at 2010年10月15日 10:18
人のせいにする人間は最低だが、自分の罪や未熟さを死者、高齢者、弱者、病人…のせいにして汚い言葉を吐いたり、良い人の振りをするのは、もっと最低なんだ。詐欺や匿名を使った宣伝行為、中傷誹謗も悪い事なんだぞ。法律を学びたまえ。

それでは、小林さんも早期に完治されますよう。
そして、今後も素敵な作品や大人の批評も楽しみに拝見させていただきます。
Posted by ●安心●安全● at 2010年10月15日 17:59
古池や蛙飛び込む水の音

俳句にはド素人のシニアです。計算機で自然言語等を処理しています。計算機がこの句を解釈するのはいつ頃になるのだろうかとふと思いました。
ところで、この句が最適かといいますとそうとも思えないのです。
さしずめ小学生なら、
古池や蛙飛び込むポチャーン
もちろんこれよりかは品がありますが、しかし小生どうも「水の音」という即物的な言い方は芭蕉にしては不出来ではないでしょうか。
本来は、
古池や蛙飛び込む水の面(おも)
とでも言ってほしかったです。
つまり、音でもなく、水しぶきでもなく、同心円に広がる波でもなくそれらすべてが蛙と溶け込んで行く句であってほしかったと思った次第です。
Posted by 安原 宏 at 2012年02月07日 23:48
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