2015年04月08日

京都の桜(俳句十句) (京都には日本の歴史と文化が凝縮されている)


京都の桜(俳句十句)

(京都には日本の歴史と文化が凝縮されている) 

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枝垂桜夕べ艶なり京にあり
八坂なる枝垂桜の古木かな
雨にぬれ枝垂桜の艶なりき
琴の音や京の女かな花の散る
詩仙堂真昼散る花落椿
詩仙堂花散る真昼錦鯉
京の橋誰か逢わなむ夕桜
千体の黄金の仏や花盛り
屏風にそ醍醐の花見残す京
一庶民京の花見に酔いにけり
京都なれ哲学の道も花の道
たずぬべき名所あまたや京の花

優艷に枝垂桜や京にありその日は遠くみちのくに想ふ

ゆくりなく京に花散るその時をかえりみて今我が惜しむかな

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京都にも四回くらい行っている。桜が咲いた時も二回くらい行っているかもしれない、ただそれも30年前とかなると記憶が薄れる、八坂神社の枝垂桜はいかにも古くそういう古いものが街中にあるのも京都である。
つまり八坂なる・・というときそこにすでに歴史の古さを自ずと語ることになるのが京都である。あの枝垂桜は樹齢何百年という古さなのである。
それを雨にぬれた夕暮れに見た覚えがある。これも相当にうろ覚えになった。

京都とは何か?それは日本文化が凝縮して残された歴史の街である。
だから京都を理解することは一回くらい旅行してもわからない。
時間軸で偲ぶ歴史は簡単にその場を踏んでもわからないのである。
京都には見るべきものがあまりにも多いからである。
一つ一つに長い歴史がこめられている。八坂神社というのは全国にありそれも京都から広がったのだろう。北野神社などもこの辺にあるから京都から広がったのだろう。
そのルーツが京都にあるのが多いのである。
秀吉の醍醐の花見でも屏風絵として残っている、東北にはそういうものが残っていないことでも栄えた歴史がないのである。

だから日本の歴史と文化の栄は桜が咲くとき京都とか大阪とか西の方が一体として感じる京都にはやはり芸術の街であり芸術が花咲いた街である。
奈良は万葉集であり縄文時代の継続のような日本の原始性の世界である。
京都はかなとか発明され平安時代に女性が文学を残したことでもわかる。
奈良の男性的なものから女性的なものへの移行がある。
だから何か仏像でもやさしくふくよかなものになる。
平安仏は貴族の仏教だったからである。
小高の大悲山の磨崖仏は平安仏なのである。だから相当に古いものである。
鎌倉時代になると武士社会になり質実剛健なものとなってゆく

いづれにしろ京都というとき哲学の道とあってもそこは花の道になっていた。
美的なものは哲学的なもの宗教的なものが一体化している。
京都には日本の美意識の基がある。
京都に住めば日本の文化の真髄にふれることになる。
それでも京都は大都会でありそこで風俗的にも乱れていることもある。
最近中国人の観光客がふえたりすると何か京都の風情が乱される
修学旅行生でもうるさくて嫌だった。
今では外国人にホテルも占領されて泊まれないとか何か必ずあまりに観光化すると本来の風情は消失してしまうのである。

ともかく京都ならどこの道を歩いてみてもそこに先人の平安時代からの歴史を感じる。
ただその歴史を感じるには時間が必要であり旅にはその時間がないのである。
だから本当に京都をわかるには住んでみないとわからない。
京都の桜では御所の桜と詩仙堂の桜を今でも覚えている。
特に詩仙堂の桜が雪のように散って真っ赤な落椿が映えていたのはまるで絵のようだったとなる。
そういう絵になる場面が京都には多いのである。
ただあまりにも寺が多すぎるので困るのである。
寺はもともと観光の場所ではない、修行の場所であるから観光には向いていないのである詩仙堂などは風流人が住んだ所だから違っている。
京都で驚くのは寺の柱に応仁の乱で争った槍の跡が残っていたことである。
寺の中まで侵入して争っていたのである。
京都は政権争いの場でもあるから戦乱に常にまきこまれてきたのである。
そういう点でも常に歴史の中心としてあったから千年の都なのである。

 
タグ:京都の桜
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