2015年04月04日

南相馬市小高区の鳩原村の歴史 (原発事故で無人化した村の不思議)


南相馬市小高区の鳩原村の歴史

(原発事故で無人化した村の不思議)


相馬一族。岡田氏の庶流で、陸奥国行方郡小高郷大井村(南相馬市小高区大井)を領して大井を称した。

大井兵右衛門 給人 14石 行方郡小高郷鳩原村8(安永6(1777)年『相馬藩給人郷土人名簿』)

大井氏は岡田氏系統の系譜にある。大井氏という姓が南鳩村にあり大井村がある。
すると大井村とは大井氏の姓をとって名付けられたものなのか?
普通は姓はその土地の地名をとってつけている。
相馬藩内でもすでに地名は相馬氏が進出したときは大方あった。
相馬市の黒木とあれば黒木氏が出たところだが黒木という地名があって名付けられた。
相馬氏が進出してもその姓が地名化することはまれなのである。
土着化することはその土地の地名を姓にすることが普通である。
ここは例外的に大井氏系統が土着して名付けられたのか?
南相馬市小高区大井とあったのだから地名をとったともなる。

安永(1780)ー天明(1788)ー天保(1843)と年号の最後の年である。
安永に給人名簿に記されているがそのあとすぐに天明であり大飢饉があり相馬藩では三分の一の人口が流出した。
自分が発見した碑は天保である。だから飢饉から回復したあとの碑である。
小高は最初に相馬氏が城を築いたところだから相馬氏の歴史としては古いのである。
相馬氏は最初に片倉から入り太田村に入り小高に進出した。
ただその前に在地の勢力があってその土地の有力豪族と戦わねばならなかった。
相馬氏系統の進出でも何かいろいろ氏があっても相馬藩内では渡部氏が村の墓の中心のようにあるのも不思議である。
鳩原村の丘の上に墓地があり一番立派なのは渡部氏の墓だった。
渡部氏がなぜ相馬藩内で勢力を広げたのかはまた謎である。

岡田氏は相馬氏と対等の力をもっていたから中村城に岡田館が別にあったということでもわかる。
でも岡田という姓がそれほど相馬藩では目立たないのも不思議である。
姓の歴史もまた複雑である。
鳩原ははっぱらとなっているから鳩は当て字だった。はっぱらとはまさに何もない原の意味である。
相馬氏はこの地に進出するときはっぱらとか人がまず住んでいない中世の館(たて)のない地を選んで開墾に入ったのである。
原町の深野(ふこうの)には館(たて)とつく地名が二つあり中世の豪族が住んでいた。
だからそこをさけて大原に開墾に入ったのである。
この大原と海老の大工が結びついていたというのはやはり相馬氏系統が相馬市の今の中村に城を築くとき何かがあったのはもとも大原には相馬氏が勢力をもった地だったからである。
北郷は小高より北だから名付けられたのであり海老村でも北郷は相馬市か完全に支配していたわけではないからである。


鳩原村にもこうして歴史が積み重ねられている。
おそらく自分が会った牛を飼っている家は戦前か戦後かもしれない、開拓に入ったのかもしれない、不便な地域はかえって新しいのが多いからである。
あそこは村から森に入る所である。懸(かけ)の森とはカケにかけ離れているの懸けなのかもしれない。か・る【離る】となっているからである。
実際にかけ離れた所にあるのは確かである。
しかし不思議なのは人の住まなくなった村であり街である。
人が住まないと言っても廃墟の街とか村ではない、人は出入りしているからである。
浪江などでは荒廃した家がある。小高では少ない、やはり帰れる場所だから家も直している所が一部ある。
家を直さない所は住まなくなるのかもしれない。

鳩原小学校があったがあんなところに学校があったのかとなる。
鹿島区の真野小学校では一人しか入学する生徒がなかったとか今は本当に街から離れたら余計に少ない、消滅の危機である。やがては街に一つに統合されるような状態である。
でも何か人が住まない街でも村でもこれは何なのだろうとなる。
ただ一時的に大がかりなロケのために映画制作のためにしていることなのかと思ったりする。これが現実だと津浪で消失した村でもそうだが未だに思えないのである。
「猿の惑星」が映画であり現実でないと思って見ていたがこの辺ではそんな状態が現実化したのである。街や村に人がいなくなりイノシシや猿が我が物顔に出てきていることがそうである。
そして小学校でも横断歩道がありあそこを生徒が往き来していた。
そうした子供の声も聞こえない、姿もない、だから確かに廃墟の村とにている。

いづれにしろ牛は飼料が自前でとれないし放射能汚染でたいがいやめている。
他に移ってはじめた人もいるがたいがいはやめた。
もともと牛を飼うにしても採算がとれないと農業をやめたいという人が多かった。
この際補償金をもらってやめた方がいいとなるのも成り行きである。
だから仮設暮らしも慣れました、友達もできたしとか狭い所で難儀しているかと思ったらそうではない、いごこちか良くなっている。
そうなるといつまでも補償金もらって楽に暮らしたいとなるのも困るのである。
仮設に本当の暮らしはない、仮りの生活しかないのである。
地元でもそういうふうに暮らしていることは困るのである。
それは津浪の被害者でも仮設から出れない人々がいるから同じである。

鳩原村ははらっぱ村だったけど鳩にあてた、実際に山鳩が飛んでいた。
別に山鳩はこの辺では街の中にも普通に飛んでくるからめずらしくない
ただ牛舎のあった森の木に山雀が一羽じっととまっていた。
それは長い間動かなかった。それで写真がとれた。
鳥はたいがいすぐに逃げるので写真にとるのがむずかしいのである。
逃げなかったのはそこに人が住んでいない、家も空家であり人の気配がしないので安心しして長くとまっていたのかもしれらない。
それでも除染の人がいたから誰もいないというのではなかった。
人がいなくなるということは野生の生物にとってはむしろ繁殖しやすくなったりしてイノシシもネズミも増えるのである。
だからまさに「猿の惑星」が現実化したとういことで驚くのである。
SF小説でもありえないことが本当に現実化していることに驚く
原発を東京に作れと言う人が本まで出していたときそれがSF小説のようにみていた。
今になるとそういうふうにしむけられていたことがわかった。
権力によって操作されていたからそうさせられていたのである。
安全だったら東京に作るのが一番効率的だったからである。
東京に作るとすればそれこそ安全を最高度にしていたし真剣になっていた。
福島は東京から離れているということで安全に対しておろそかになっていたのである。


 
タグ:小高
posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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