小高の城跡と鳩原((懸(かけ)の森の方を回った
(津浪の後に海が見えるようになった)
ここから海が見えた
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津浪後開けし海や春の朝
(鳩原)
鳩原や百輪の椿に夕日さす
鳩原に天保の碑あり落椿
夕日さし牛舎残りて梅匂ふ
春日さし山鳩飛びぬ鳩原に
(懸(かけ)の森山 (536.1m))
春の日や二段の滝のひびきけり
山の奥巌に樹々の芽吹きかな
夕雲に匂うがごとく春の月
春の朝沖に船行き6号線我が自転車に見つつ走りぬ
(小高の城跡)
枝垂桜はや咲きにけり城跡の小高より見ゆ朝の海かな
石段に椿赤々と散りにつつ枝垂桜の城跡に咲く
(鳩原)
鳩原に椿のあまた散りにしを人の帰らぬ農家の暮れぬ
鳩原に小学校あり春の日や生徒もなしに今日も暮れゆく
鳩原に天保の碑あり古りにしを農家に椿散りて暮れゆく
(懸(かけ)の森山 (536.1m))
(懸(かけ)の森山 (536.1m))
この山路踏み入る人もまれなりし苔むす石に春日さすかな
この山路踏み入る人もなきにしにシロスミレの花に苔むす石かな
この山路岩根を踏みて分け入りぬゼンマイいでて流れひびきぬ
山雀の枝にとまりて動かざる人去るあとの春の森かな
この山路キクザキイチゲの開かむやひそけかるかな我が見て去りぬ
]
天保とあるから古い
(懸(かけ)の森
キクザキイチゲが開こうとしている
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これは牧場のある所で見た山雀
今日も天気がいいので小高の方に行った。津浪のあとに太平洋が見えるようになった。
前は家とか樹があってさえぎられみえなかったのである。
やはり海が見えるということは気持かいい、常磐線からも海が見えるところはわずかだった。
小高はやはり人が住んでいないから庭に花が咲いていたが淋しい、人が住まない街というのも不思議である。数人の人がみかけたがそれにしても淋しい街である。
区役所で「ほっと悠」という休憩所がありコーヒーを飲んだ。
まさにあそこだけがほっとするという空間になっている。
人が住まないということは死んだ街になってしまうことである。
区役所で「ほっと悠」という休憩所がありコーヒーを飲んだ。
まさにあそこだけがほっとするという空間になっている。
人が住まないということは死んだ街になってしまうことである。
街の方から今回は山の方に向かったら鳩原という所にでてきた。
そこに小学校あった。こんなところに小学校がまだあるのかと思った
それも今は誰もいないから廃墟と化した村の小学校のように見えた。
ここにも子供が通っていたのかと何か不思議になった。
廃墟趣味の人がいるがそんな人がこの辺に来ているかもしれない。
廃墟とは違うがにているのだ。
そこに小学校あった。こんなところに小学校がまだあるのかと思った
それも今は誰もいないから廃墟と化した村の小学校のように見えた。
ここにも子供が通っていたのかと何か不思議になった。
廃墟趣味の人がいるがそんな人がこの辺に来ているかもしれない。
廃墟とは違うがにているのだ。
ここも丘の上に墓地があったからあれは新しいのかと思ったら天保の碑があったからこの村も江戸時代からあった。あとから開拓に入ったものもあった。
おそらく懸(かけ)の森で牛舎があって牛を飼っていた人は開拓に入ったのかもしれない
なぜならかえって奥地の不便なところはあとから開拓に入る場合が多いのである。
そこは不便な所であるからだ。そこで牛を飼っていたという女性にあった。
あそこが自分の家だと言っていた。
その女性は鹿島区の仮設に住んでいたのである。
仮設は狭くて嫌蜷だろうとか言ったら今じゃ慣れた、友達もできたからそうでもない
そんなものか、やはり4年も仮設にいればそんな諷にもなのかと思った。
田舎では大きな家で広い庭に住んでいる人が多いから狭い所は嫌だと思っていたのであるしかし人間とは何でも慣れるものだと思った。
あの辺は除染しても牛は飼えないだろう、だから除染していも無駄に思えるのだ。
そもそも帰らないのに住む人がないとしたら除染しても無駄なのである。
だから何のために除染しているのかとなる。
おそらく懸(かけ)の森で牛舎があって牛を飼っていた人は開拓に入ったのかもしれない
なぜならかえって奥地の不便なところはあとから開拓に入る場合が多いのである。
そこは不便な所であるからだ。そこで牛を飼っていたという女性にあった。
あそこが自分の家だと言っていた。
その女性は鹿島区の仮設に住んでいたのである。
仮設は狭くて嫌蜷だろうとか言ったら今じゃ慣れた、友達もできたからそうでもない
そんなものか、やはり4年も仮設にいればそんな諷にもなのかと思った。
田舎では大きな家で広い庭に住んでいる人が多いから狭い所は嫌だと思っていたのであるしかし人間とは何でも慣れるものだと思った。
あの辺は除染しても牛は飼えないだろう、だから除染していも無駄に思えるのだ。
そもそも帰らないのに住む人がないとしたら除染しても無駄なのである。
だから何のために除染しているのかとなる。
そこから懸(かけ)の森に入った、あそこは始めて登った、流れが奥へ奥へと通じている。今回は上りきることはできなかった。
まだまだ行っていないところがあるから山はわかりにくいのである。
小高はどういうわけかあまり行っていない、浪江の高瀬川には行っていたが小高は見る所がないと思っていた。
小高ではやはり浮舟城と言われたのは海が城の前まで瀬迫っていたのである。
津浪でわかったように小高は意外と海が近かった。駅まで津浪が来ていたのである。
中世には港があり蔵まであった。
だから小高の城は港と隣接してあったのてある。
津浪で小高の城跡から海が見えたからである。
東北では城から海が見えるのはここしかないだろう。
だから海が見えたということで景観が代わり浮舟城というのが何か海と港と関係して名付けられた。
また紅梅山とか言われたのも今回春に訪れてぴったりだった。
梅でないにしろ枝垂桜が咲いていたからである。
いつれにしろ小高は相馬氏の最初の城が作られたところであり相馬藩の歴史としては重要である。
そして小高の城跡であり鳩原の村であれ江戸時代からある。
もし人が住まなくなったらそういう歴史も失われる。
それは何を意味しているのか?
それは江戸時代からつづいた歴史の喪失である。
そういうことを今まで考えたこともないのでどう考えていいのか戸惑うのである。
江戸時代からつづいた街であれ村がこうして消えてしまっていいのかとなる。
そのこともまたこの辺では考えさせられる問題なのである
タグ:小高
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