2015年03月23日

春彼岸で墓参りして思ったこと (人間は死んだとたんに忘れられるから無常である)


春彼岸で墓参りして思ったこと

(人間は死んだとたんに忘れられるから無常である)


町の空高く飛びけり初燕
めれにしも明るし昼間春時雨
我が墓に誰か花さす春彼岸
百輪ほど木蓮の蕾風にゆる

誰なれや我が家の墓に花をさす人のありしも春の彼岸に

初燕を見たのは昨日だった。今日は春時雨だった。春時雨などというのも実際にある。
今日は一時的に曇りぱらぱらと雨がふった。やはり時雨なのだろう。
春時雨となると全然冬の時雨とは違う。こういうのを季語にしているのも日本である。
春彼岸であり花を誰か自分の墓にさしていた。それははっきりと自分がさしたあとにさしているからわかった。
こうしてくれのは誰かわかる、どうしても姉が保健婦の時世話した人だろう。
それは近くに住んでいるし同じ墓だからだろう。
同じ墓地だとついでに花をさすということがある。

墓に花をさすということはやはり死んでからも忘れないといことでありそれはなかなかできない、たいがい人間は肉親すら忘れやすいのである。
墓参りするのは無償の行為であり本当にその人を思っていないとできない
一見花さすことなど簡単でも金がかからなくても人はしないのである。
だから墓地というのはやはりそうした人々の思いがある場所だから違っているとういことはある。
ただ墓も意外と今は遠くから墓参りしている人が多いから墓参りにくるのも大変だとなる墓参りとか掃除するにも近くでないとできないのである。
そういうことで土地の縁が薄れてしまったのが現代なのである。

人はいろいろである。恩を忘れない人もいれば忘れてしまう人もいる。
たいがい恩でも意識しない人も多いし忘れるのである。
人間はなんでも忘れやすいのである。死んだとたんにたちまち忘れられる
そんな人生きていたのかともなる
だから死んでも五年くらいたっても忘れないのはやはりありがたいとなる
正直金だけの関係で切れるのは悲しいけどほとんど今は特にそうなっている。
金がもらえないなら何の関係もないとなってきれている。
人間はそんな関係しか結べなくなったのかということが悲しい
それは肉親の間でも兄弟でも起きている

自分の一身上のことでも金、金、金・・・ばかりだった。回りも原発事故の補償金で金でもめて地域は分断された。それも金が原因であった。
なんでも人間関係も金だけだになると悲しい、何か金意外のつながりができたとき人間っていいなとなる。
それを作るのが今の時代はむずかしいのである。
かえって貧乏な時代の方がそういう人情にあつかったというのもあり人間は必ずしも豊かなことが幸せに通じるとはなっていない。
あるものは本当に金を盗むために来てあるものは金、金、金と自分の病気のとき要求してきた。
もう借金とかに追い詰められると相手のことなど見えない、金をしぼりとってやれとしかないのである。
だからすでに借金している人は人間でなくなっている。
借金のためにはなんでもする犯罪者になっているのである。
その餌食にされようとししたのが自分であり実際そうであった。

「金の切れ目が縁の切れ目」「地獄の沙汰ば金しだい」とか本当に諺は人間の変わらぬ真理だった。つまり人間は昔も今も変わらないからこそ諺も生きている
ともかく墓参りするということはやはり人間として欠かせないものである。
つまり墓参りは何か見返りぁう期待しないからいいのである。
それは花をさすだけでもいいのであり問題は心が問われている。
死者を思わないものは花一本もささない、それは親子でもそういうことあるから人間は肉親に対しても非情化する、そしてとにかく忘れやすいということである。
死んだ人を何十年も思いつづける人は肉親だろうが兄弟だろうが夫婦でもいないだろう。つくづくだからこの世は無常なのである。
肉親の関係すら死んでしまえばはかないとなる。それはやがて老人になればいやおうなく現実になる。
そもそも人間にそうした金意外とか利益意外の関係を求めること自体ありえない
ただその時々の利害関係しかないとなる
だから結局人間の関係も一時のものでありこの世の縁もそんなものでありたちまち人はみんな死んで二度と合わないとなっているのである。

人間はある点でつくづく犬や猫以下になっている面がある
なぜこれほど犬や猫に思い入れが深くなるのか?
それは人間の貪欲さや非情さから人間より犬猫の方が無欲でかわいいとなっているからである。
犬の方が恩を忘れないとなもなる。
人間は嘘をついたりと動物以下なのである。
だからどうしても人間嫌いになり犬猫の方がいいとなるのもわかった。
人間の醜悪さは悪魔的なものになってしまう。
他人などはもう人間とも見ていない、こいつからいくら金がとれるんだしかなくなっている
そういう世の中になったから極端化したから津波でも原発事故でも来て故郷も消失したのかもしれない
ずっとそのことは自分の一身上のことから思いつづけていたのである。
動物以下と化している人間は滅びるほかないとなるからである。
そんな人間の世は滅びても惜しくはないとまで思うようになるからである。

タグ:春彼岸,
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