2015年03月06日

椿は海に映えて咲くもの (津浪の跡の海老浜に椿が映える)



椿は海に映えて咲くもの


(津浪の跡の海老浜に椿が映える)

tututu4.jpg

朝の海光り百輪の椿映ゆ
百歳を生きて幸あれや梅開く

石一つ津浪の跡に残りつつ船行く遅し春の海かな



   川の上うえのつらつら椿つらつらに見れども飽あかず巨勢の春野は (56)
吾妹子(わぎもこ)を早見浜風大和なる吾待つつばき吹かざるなゆめ
   巻一 七三 長皇子
   
あしひきの 山海石榴咲く 八つ峰(お)越え 鹿(しし)待つ君が 齋ひ妻(いわひづま)かも 
巻六 一二六二 詠人不知 
   
   
ツバキは典型的な照葉樹であり、わが国では東北南部までの照葉樹林帯には普通に分布し、海岸地方だけでなくかなり内陸部にも自生し、所々に大群生が見られる。ツバキの材は堅く丈夫なので古くから利用されてきたが、考古学資料としてもっとも古いのは福井県三方五湖の縄文遺跡鳥浜貝塚で発見された漆塗りの櫛(くし)で約5000年前のものと推定されている。鳥浜貝塚からツバキ製の石斧の柄も出土しているという。前述したように、ツバキの実は良質の油脂に富み、古代では中国への主要な朝貢品の一つであった
http://www2.odn.ne.jp/had26900/topics_&_items2/on-tsubaki.htm

『隋帝国』第二代皇帝で詩人・文人でもあった煬帝(在位604年〜618年)が遣隋使の小野妹子が献上した椿を見て『海石榴』と名付けた。それは、基本的に内陸に文化の中心を持つ漢民族にとって海は辺境であり、椿が異国の更にその海を越えたところから持ち込まれた赤い花を見て感嘆し、同じ赤い色の花をつけ、当時の中国人がこよなく愛したとされる石榴(ざくろ)の名をとって、詩の中に『海石榴』と漢名として初めて使われたという
これは、景行天皇が熊蘇征伐後、豊後(大分県中南部)に凱旋したとき土蜘蛛(つちぐも)を討つ話しで、ツバキの木を武器として槌を作った処を海石榴市(つばきち=大分県大野郡)と名付け
http://mitsusima.jugem.jp/?eid=460

ツバキは北海道を除く日本列島に、本州から四国・九州をへて琉球諸島まで自生する。ツバキ自生の北限は、本州の最北端、青森県は陸奥湾に突き出した夏泊半島の椿山である。この北限の椿山については伝説があり、「柳田邦夫全集・第12巻『豆の葉と太陽』」(筑摩書房)は次のように紹介する。


 昔この湊に往復して、木材を西に運んで居た船の船頭がこの土地の婦人と馴染みになって居りました。
或年の出舟の別れの日にその女が申すには、貴方の御国では椿の実の油を用いる故に、女の髪がいつ迄も黒く艶々つやつやとして居るということを聞いて羨ましいと思います。どうか来年はその椿の実を持って来て私に下さいと謂ったそうであります。船頭は快く承諾して約束をしましたが、何か故障があって次の年も、又その次の年も津軽には来ませんでした。
 三年目の同じ頃に、約束の椿の実を船に積んで、男は小湊へやって来たのでありますが、もうその時には待兼ねて疑い且つ恨んで、海に身を投げて女は死んでしまって居たと申します。そこでこの岬の山にあった女の墓に参って来て、その椿の実を墓のまわりに播き散らして往いったのが、後に是だけの椿の森になった のだと伝えて居ります。



  
 古代、人が約束の言葉を交わすとき、ツ(唾)の神が出現すると信じられた。「日本書紀」にも、こう記す。
時に、イザナギまた慙はぢたまふ。よりて、出で返かえりなんとす。時に、直ただに黙もだし帰りたまはずして、盟ちかひて曰のたまはく「族うがら離れなむ」とのたまふ。また曰はく、「族うがら負けじ」とのたまふ。すなはち唾つはく神を、号なづけて速玉はやたま之男のおと曰まうす。  [ 神代紀・上・第5段 ]
 http://www.ctb.ne.jp/~imeirou/soumoku/s/tubaki.html
 
 津浪で村が消滅した海老浜には今は椿が咲いていた。その椿は今までは家があって隠されていたので気づかなかった。かなりの数が咲いている。
 海老浜は前はシャリンバイの自生する南限の地として有名だった。
 椿というのも南の植物である。だから海に映えるのである。
 海にふさわしい花なのである。
 
 ただ万葉集は奈良が中心だから山に咲いていて歌われていた。山海柘榴という表現があるのはまず海柘榴があり山を加えたのである。
 
 基本的に内陸に文化の中心を持つ漢民族にとって海は辺境であり、椿が異国の更にその海を越えたところから持ち込まれた赤い花を見て感嘆し、同じ赤い色の花をつけ、当時の中国人がこよなく愛したとされる石榴(ざくろ)の名をとって、詩の中に『海石榴』と漢名として初めて使われたという
 
 中国にとって海はなじみがない、それで椿に海をつけて名前にした。石榴はシルクロードを通じて入ってきた植物である。ここでシルクロードとの交わりが見られるから興味深い。ただ椿にこれだけの交流の歴史があるとは思わなかった。
 
 照葉樹林文化に共通する物質文化は以下のようなものがあります。水晒しあく抜き技法、発酵茶、絹糸虫の繭からの製糸、漆器、柑橘シソ類の栽培、麹発酵酒、納豆などの大豆の発酵食品、ナレズシ、コンニャク、雑穀稲のモチ種、オコワ、チマキ、モチなどのモチ性の儀礼食品、高床の吊り壁、雑穀イモ類の混作焼畑、山の神信仰、歌垣や鵜飼の慣行、天の羽衣説話、死体化生神話などです。

照葉樹林文化というときイワキの波立薬師のある海岸にはツワブキと椿が咲いてそれらしかった。ツワブキは海岸地帯に自生する。
キク科の多年草。海岸近くに自生。長い柄のある葉が束生し、葉は腎臓形で厚く、上面は光沢がある。10月ごろ、花茎が約60センチ伸び、黄色の頭状花が多数咲く
これは秋に咲くのである。
いづれにしろ椿は日本では親しみのある花であり海岸地帯を起源としている。
ただ奈良時代に万葉集が作られたから山に咲いているのが多く歌われたのである。

津浪では海岸の景観が変わってしまった。見晴らしが良くなった。
津浪の跡はいつまでもあのつまにしていいのかともなる。ただ四年すぎても悲しみは変わらない
だから何か手を入れるにもまだ土地の所有者がいるのだからむずかしい。
ただいづれ整地して公園のようなものにするほかないだろう。
他ではそういう計画がある。

インターネットはこのように編集しつつ書くのである。つまりインターネットには情報の集積がありそれをいながらにして検索できるから情報社会なのである。
図書館ではなかなか検索などできない、本でもできないことが編集するのがむずかしい。「椿」というキーワードで知識が広かり編集できるのがいいのである。

 
 

タグ:椿
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/114714247
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック