2015年02月25日

インターネットで変わった商品の買い方(2) (個別に対応することが何でもむずかしい)



インターネットで変わった商品の買い方(2)


(個別に対応することが何でもむずかしい)


または銀行の、個人の客に対しての営業のやり方なんです。自分たちが売りたい、今売らなくてはならない商品在庫を捌く。それしか頭にありません。本当にお客さんのことを考えてアドバイスができるところはないのではないかと思います
http://president.jp/articles/-/10732?page=4

これは銀行だけではない、電気量販店でもそうである。
前にオカユを作る機械を買いたいと思って商品をみせてもらったがとれを選んでいいのかわからなかった
まず買う方の問題としてオカユを作ることに関しての知識がない、商品知識がない
そうなると量販店に聞けばいいとなるが量販店でもこれが今一番売れているものですよとか説明してくれない、またそういう商品もおいてない場合がある。
だから商品に対する予備知識が必要なのである。
それでインターネットでアマゾンで調べて
今人気なのがどれなのかということを知る
レビューはだから役に立つ、出版社で本にケチつけられたと訴えた人もいることでわかるレビューの影響は何も知らないものにとって影響が大きい、判断材料になるのである。
本になるといろいろあり物の商品とは違っている。
中味は知識だからその判断がすべて正しいとはならない。

でもやはりこの本はつまらないとか書いてあるだけでも影響する
そのつまらないにしてもこういうところがつまらないと書いてあればいいが
一方的につまらないとだけ書いてあるのは誤解されやすい
その本を出している出版社にとってはそういう批評は困るとなるだろう。
ともかくインターネットではあらゆる人が批評者になったことも影響している
こうしてし二三行でもとりあげて文をつづるということなど今までできなかった。
本など出ても読者が何かを言うことはできなかったのである。
本というのは一方的メデアだしテレビでも新聞でも雑誌でも一方的メデアである。
だからたいがい宣伝費で経営するとなると宣伝する会社の言いなりになる
それでメデアの自立性が得られなかったのである。

ただこうして誰でもプログなどでソーシャルメデアで批評できる時代はものを考える人が増えるということがあるかもしれない、なぜなら自分なり書くとなるとその批評でも書いたことが誰かに読まれるとなるといいかげんなことを書けないとういこともあるからだ。批評できてもその批評を批評される時代になもなる
だから何か書くにしてもそれなりに知識や独自の考えないと相手にされないということもある。
こういうことは民主主義の促進につながることもある。
今までは商品を買うにしても売る方が主役であり買う方はただ従うだけだという面が大きかった。
商品についての知識がなかなか得られなかったからである。
それでも今は商品がふえたから本当に選ぶのがむずかしい
印刷機は4台買ったがいいものではなかった。
安いこともあったし選び方がまずかった。
最新の印刷機でも紙送りがうまくいかないとか欠陥があったみたいだ
かえって古いのがしっかりしていたがスキャン速度が遅すぎたりして使えなくなっていた印刷機はそれなりに高いからいいのを買うのが一番むずかしかった。

それからパソコンもwin8の買ってウィルスに二回やられのはショックだった。
それで中古品のwin7を二台安全のために買ったがこれの方が使い安いというのも今の時代である。
ソフトもwin7用のがありかえって中古品の方が良かったと思い失敗だった
中古品は3万くらいでいいのが今は通販でいくらでも買えていたのである。
中古品は古本でもそうだが全国規模になるからいいのが手に入るのである。
それとパソコンはすでにできあがったものだからwin7の方がかえって使い安いということあった。
そのことに気づかなかったのが失敗だった。
新しいパソコンはウィルスに弱い場合がかえってある、それも怖いなと思った。

今と物を売るにしても買うにしてもめんどうな時代になったのである。
その人の求めるものが多様化したのである。
だから売る方にしてもオカユを作る機械に関心がない人もいる
若い人など介護したりしなければ関心がないから売る方で商品について知らないことも多いのである
ましてや金融商品など銀行にまかせているがその若い人は本当に知らないのだろう。
ただ適当にいいことを言っているだけである。
そもそも金融について詳しい人は少ないのである。
銀行では金融が株が商売でないのだから余計にそうなる

ともかく人間は相手のことを知ることが大事だけどそれができない
まず人間は自分自身のことしか考えない
家に来た人もただ金をくれとかなり本当に家捜していたのだから驚く
他の人も借金かかえているから頭にそれしかなかった。
だから病気になり介護で苦しんでいるときも借金の要求だけになる
だからこの人死ねば金になるなとなっているから怖かった
ただ自分のことしか考えていないのである。
そういう人がふえたのが現代でもある。
だから相手のことを相手が求めていることに対応できないだろう。
あの人は相手のことを全く考えない人だったのである。
そういう人が経営者になれると思えない
もちろん人を雇ってもその人のことなど何にも考えないだろう。
そういう人が経営者として成功するとは思えないから失敗したのだろう。
経営者は技術だけではやっていけないのである。

相馬市公立病院の看護婦長はそういう気配りができていた。
書類見ただけで「お母さんの介護で大変ですね」と言ってくれた。
これは簡単にできない、書類だけで簡単にその人のことがわからないからだ
そこまで相手のことを知ること自体むずかしいからである。
ただ看護婦には虐待みたいなことをされたから全部がいいとはならなかった。
看護師などは本当はどういう患者なのか良く相手をみる必要がある
でも何人も相手にする、次々に変わるときそういうこともむずかしいだろう。
それはどこでも起こりうる。大勢を相手にすれば機械的になる
メカニカルな対応になりそっけないものとなる

現代ではやはりそういうことがどうしても多くなるのだ。
そもそも勤めるにしても今は時給いくらだとなるとその分しか働かないとなる
愛想など良くしろといってもそういう動機が働かないだろう。
時給いくらでありそれ意外のことに気を使うのも馬鹿らしいとなる。
オーナーだったら別だが時給で雇われている人にはそういう動機が働かない
だから今は個々の対応がぞんざいになりやすいのである。
大勢を相手にするところはみなそうなりやすい
カルト宗教団体などでもそうである。そこで問題になるのは数だけなのである。
あれだけ数が多ければ個々人などどうでもいいとなる
現代はそういう数が中心の世界である。
数で判断されるところには個々人などをとでもいいいのである。
単に統計的数字として処理されるだけだとなる


インターネットというメデアまだ熟成していないだろう
だからこれをどう利用するかはまだ未知である。
家事やっていると物を買っても料理する材料を買ってもそのノウハウの方が大事なのである、家事は本当に多岐にわたるからノウハウがわからないとできない
それで一人の女性に教えられることがあり助かった
やはり家事は女性がノウハウを積み重ねている
介護は料理など出すから女性向きであり男性向きではないのである。
それで男性が介護で苦労する時代になったのである。
だから男性も家事とか料理を習う時代になっている。
それでも一人で家事から介護からすると大変になる
それで毎日時間に追われる生活になったのである。


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