2006年08月20日

「認知症 隔離」(キ-ワ-ドから)

認知症関係のキ-ワ-ドではかなりきている。今日来ていたのは「認知症 隔離」である。「認知症 離婚」とか「認知症 暴力」「認知症 後見人」・・・認知症に悩み苦しんでいる人が多いからこうしたキ-ワ-ドでプログにきている。私も毎日認知症関係の日記を読んでいる、それで同じ症状があるんだと知り自分と経験したことと同じだなと知りこれは特殊なのではない、みんな同じように悩んで苦しんでいることを知り安心したりする。

「認知症 隔離」で探しに来た人は認知症の人を隔離したい人なのか?施設に働く人なのか?あまりに手のかかる人は暴力をふるう人など隔離したくなるのはわかる。昔は座敷牢に入れていたのだろう。でもこれは病気を悪化させることは間違いないし人権の問題にも虐待の問題にもなる。自分の家族を母や父を座敷牢に入れたりすること自体耐えきれないだろう。それはもはや家族ともいえなくなってしまう。これは悲惨すぎる。

近くの認知症なのかどうかわからない90才の老婆は時々家にきてなんか訳わからないことを話して帰ってゆく、会話がなりたたないのだ。その人は家族の者とは一緒に食事していない、一人部屋が用意され隔離されている。食事は嫁が運んでくる。一つの家に夫婦が所帯を別にもち生活するのとは違う、いろいろ問題を起こしたので隔離されたのだ。それでも前は騒いだらしいが今は大人しくしている。最近自分の家に勝手にあがりこんできて部屋まで入ってきたらしい、その時自分は二階にいたからわからなかった。この人が認知症なのか精神状態がとうなっているのかよくわからないがこういう状態はやはり一つの隔離なのだろうか?

いづれにしろこのような状態は一つの家族とは言えないかもしれない、一緒に食事しないとなると家族とは言えない、認知症に対処する仕方は家族によってみんな違っている。家族環境やら生い立ちやら様々に違っているからだ。認知症の人は正常な人からうとまれ差別されやすい、それは家族でもやっかいものになるからそうなる。しかし認知症の人はそうされることを一番嫌っているだろう。私を差別しないでください、みんなの仲間に入れて下さいとか認知症自身の訴えもある。これはなかなかむずかしい問題だが認知症の人も正常な人の仲間に入りたいという希望がある。なぜ笑っているのか、私も一緒に笑いたいとか訴えている。認知症の人は軽ければある程度普通の人と話も通じるのだ。認知症の人も普通につきあうことを望んでいる。ただこれは正常な人の親切な対応が必要になってくるからむずかしいことがある。

ともかく認知症の人を隔離することはよくない、病気も悪化してしまう。隔離すると楽になる面があるからだろうがやはりダメ−ジは介護する人にも介護される人にも大きいだろう。重度になるとそうしたくなることはわかる。一時期暴れてどうにもならなかったから隔離するほかないとかも思ったからだ。でも人間的接触をつづけてきたら半年でかなり回復した、忘れる病気そのものは直らないにしても情緒的安定して物盗られ幻覚も消えたしおとなしくなったからだ。

そもそも精神疾患者については危険だから手に負えないから隔離するほかないとなった。でもその見直しは計られている。認知症の場合は特にこれから地域で多くなるし地域で生活する人もふえてくる。となると隔離するという思想では対処できなくなる。施設も入りきれなくなるから自宅介護しろといっても回りの人の理解を得なければできないからだ。認知症に対して理解を深め鷹揚に対応してゆくことが望まれているのだ。 
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