枯枝の垂れて忘らる六地蔵
冬の日や里の地蔵の親しかな
仏教では、命は六道を転生するという六道輪廻の思想があり、死んだ後、四十九日を過ぎると、六道と呼ばれる地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界のどれかに生まれ変わってくると言われています。
この六地蔵はいたるところにある。村の入口に多い。村の境界に置かれた。他に様々な理由で供養のためにも置かれた。間引きしたとか水子とか子供の供養のためかもしれない、なぜこれがそこにあるのか?これがわからないのだ。いつそこに置かれたのかもわかりにくい、これがわからないと事実というのもわからない、東北では江戸時代のものはまれなのだ。たいがい明治以降の碑が多いのだ。八木沢峠に行く道には村などもない、家が何軒かあるがあそこにどうしてこれがあるのか謎である。ただこの童子の顔をアップして見たら良くできている。これは気づいている人は少ない、急な坂道だからいつも自転車でスピ-ドだして下っていたからわからなかったのだ。意外と身近にあるものに人は気づかないものなのだ。灯台下暗しなのである。
これは六地蔵のアップの写真がめけていたのでもう一回出した。デジカメでいろんな隠れたものを発見されるようになった。写真とか絵をインタ-ネットから探すと面白いもののコレクションができる。私は外国のものも集めたが著作権の関係で公開できない、合成写真にしたりしたから著作権違反になっているかもしれない、インタ-ネットでは写真は今や膨大なものとなった。その中には非常にユニ-クなものがあり発見があるのだ。