2006年08月19日

郷土史研究のテ−マ(水の問題)−町ではもらい水

水は人間の生活になくてはならないものだから水についての話はいくらでもある。小さな町では水はもらっていた。それも何軒からも頼んでもらっていた。その話を何度もする。認知症でも昔の話はできる。ただ百回も聞くことになるのは閉口する。今日はまた世話する人がきてくれたので水の話になった。町では水をもらうのには必ず頼んでいちいち礼を言って水をもらっていたのだ。あるところの金持ちの家は門が閉ざされて奥に井戸があり入りがたいところにあったのでそこにやっと入れてもらい水をもらった。そして丁寧にありがとうと礼をしなければならなかった。これは子供のときの話である。

一方阿武隈の山の方に暮らしていた人は水汲みは家が高いところにあり山の下にあり水をはこぶに苦労した言っていた。水汲みは今でも遅れた国では嫁の仕事でそれが重労働なのである。水なくして生きていけないのだから水にまつわる話は世界中にある。ここでの水の話は町では水をもらうのに人に礼をしてもらう、それも何軒も回り礼をして水をもらっていた苦労があった。山の人は水を運ぶ苦労として記憶されるが町では人に対して礼を言う苦労として語られる。どちらにしろ水を確保することは苦労だったのだ。私の小学生の時も水は近くの家からもらっていた。風呂に水を入れるためにバケツで水を運んだのである。風呂を満たすだけの水をバケツで運ぶことは大変だった。小学生までは水道がなかった時代だったのだ。洗濯物も近くを流れる堀でしていたのだ。

その頃井戸がいたるところにあり井戸は涼しさの象徴だった。冷たい水が湧き出て涼しかったのである。それが水道の時代になると自然の冷たい水の感覚がなくなった。最近は小川もなくなった。みんなコンクリ−トの堀になってしまった。現代は水のありがたさも感じられない時代である。水道の蛇口をひねれば水がでてくる。だから水を無駄にする。水を過剰に使いすぎる。確かに水は金をはらって使うものだからただでもらうのとは違い価値があるとなる。昔は水はそれぞれが山の方とか町では違っていても労働という対価によって得られた。町ではいちいち礼をしてもらうからこれも水は簡単にもらいないものとしてあったのだ。どっちにしろ水の貴重さは昔の方が体で知っていた。

朝顔や釣瓶とられてもらひ水」千代女−−−この句なども水とはもらひ水が多かった。町では特にそうだったのだ。なかなか昔の句でも背景がわからないと鑑賞できない、生活感覚は実感だから今になると理解できなくなるのだ。
郷土史研究として水に関して調べることも一つの手段である。

聞き書き 水とくらし (豊中市)
http://www.city.toyonaka.osaka.jp/toyonaka/kankyoshigen/

ここは本当に詳しいのには驚いた。農家の出でないから田の水の問題を知ることはむずかしい。でもここでは実体験から詳しく調べて研究している郷土史研究としては貴重な資料となっている。棚田の上田から下田へ水をひく苦労もそれなりにあることやなかなか農家の人でないとわからないことが詳しく研究されている。ここを読めば一地域の水のことがわかる。郷土史研究というのも一つの自分のテ−マとしてあったが万葉集が中心だったが卑近な水という問題をそれぞれが調べてインタ−ネットなどで書けば貴重な資料となる。これは市町村でやるべきものだろう。それに個々人の老人などの体験としてこのように調べればいろいろな水の事情がわかって郷土史研究の一つのテ−マとなる。

























posted by 天華 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/1138384
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック