郷土史の意義とは
(時間軸を基本にして故郷に生きる意義の探求)
郷土史の意義とは何か?それはある範囲での総合的価値の追及である。
現代の文明は複雑化して職業も無数に分化してつながりとか一体感が感じられない。
郷土史というとき自然をベースにしてアイディンティティを見いだし構築してゆく。
その自然というとき昔なら自然から糧を得ていたし80パーセントが農民だという時代は
自然そのものを意識することはない、自然がどうのこうのなどあまり考えない
生きることが自体が自然なしではありえないからである。
それが現代では自然から遊離して生活できる環境を文明が作った。
だから東京のように一千万の都会でも自然がなくても暮らせる
ところがその東京ですら水は自然があって供給されているのである
水は利根川の奥とかいくつかのダムから水を供給している
そのダムの水が実は今回の原発事故で放射性物質で汚染されたのである。
フクシマに原発を作れば東京は安全だと思っていてもそうではなかったのである。
郷土史というと何か狭い範囲の学問だと思っている。好事家がしているうよてうなものだと思っている。それが自分がプログで「相馬郷土史研究」で発信しつづけてわかったが
広範囲な知識と学問が必要でありこれだけ狭い相馬藩内でも自分一人では手に負えない
知識が必要になる。
今回の原発事故では自分は科学に弱いから放射能汚染について何か伝えることができなかった。
郷土史というといとき土から成るということも書いたから土と密接に結びついてある。
とすると地質学だって関係してくるともなる。そうなると自分には手に負えないとなる。地質学は地震とも関係してくるし地盤とも関係してくるから重要だとなる。
だから街中の墓地の前に復興団地が建ったときここは地盤が弱いというとき
そこは沼地だったらしいからそうなる。そういう江戸時代辺りの自然がどうなっていたかも知る必要があるのだ。あそこは地震に弱い地域だとなる。
それから郷土史というと史であるから長い時間軸で形成されたもののなかで人間の生きてきた価値とかこれから生きる価値を見いだす、意義づけることなのである。
自分の母親が百歳になったというときその人の生きた意味は何なのか?
一つは個人として価値づけるものがありもう一つは家族として生きた価値づけがあり
もう一つ故郷に生きたという価値づけがある。
さらに広域的になると戦争を経験したりすると国家的価値付けが問題になる
一人の人間の生きる意義とか価値は重層的なのである。
まず人間が生きる価値というとき自然があり人間の価値も生まれてくるのである。
それが大都会にはない、海があり大地があり山があり森があり川があり・・そこにまず人間の価値が生まれてくる。江戸時代でも戦前でもその地域地域で自然の糧を得て生活していたのだからそういう自然のことを意識していなかったろう。
戦後十年も炭で生活していたのだから地域が資本になってい生活していたのである。
地域地域の自然を糧として生きているとき自ずと精神的価値も自然に人間が付与するのである。
例えば石の詩を自分が百編書いたというときそうである。
石はその土地の要のように千年とか千歳とかあるから重みがあるとなる
石とか山にアイディンティティをもつのは人間として極めて自然なのである。
とても高層ビルにアイディンティティをもつことはできない、それは非人間的人工物となるからだ。
石はその土地の要のように千年とか千歳とかあるから重みがあるとなる
石とか山にアイディンティティをもつのは人間として極めて自然なのである。
とても高層ビルにアイディンティティをもつことはできない、それは非人間的人工物となるからだ。
石にしてもそれは山とか大地にあるものでありビルの谷間に石一つあっても庭にあっても活きてこないのである。
石は四季の風雪の中で千歳の磐として重みを増してくるのである。
つまり自然は人間に食を与え養い美を与え神道のような信仰を与え哲学を与える
人間は自然からアイディンティティを見いだして人間形成するのが自然なのである。
都会のビルの谷間ではそうしたことができない、毎日がビジネスでありただ金を計算しているだけになる。それが人間の営みだろうかとなる。
そういう疑問ももたないというとき人間は何なのだろうとなる。
だから自然から離れた文明は奇形文明だとしたのである。
石は四季の風雪の中で千歳の磐として重みを増してくるのである。
つまり自然は人間に食を与え養い美を与え神道のような信仰を与え哲学を与える
人間は自然からアイディンティティを見いだして人間形成するのが自然なのである。
都会のビルの谷間ではそうしたことができない、毎日がビジネスでありただ金を計算しているだけになる。それが人間の営みだろうかとなる。
そういう疑問ももたないというとき人間は何なのだろうとなる。
だから自然から離れた文明は奇形文明だとしたのである。
郷土史というとき相馬藩での権力争いとか戦争とかがやはり国の歴史と同じく主要なもののように見えてくる。でも一般庶民でも郷土に生きる生きた意義を追及するのが歴史である。
自分の母親のことばかり例にとるのもなんだがそれは一つの例である。
他にも自分は庶民の話を聞いて郷土史に書いてきた。
郷土に生きることの意義がそれぞれある。それは国の歴史とも関係している。
製糸工場で働くということは地域史であり日本の歴史でもあった。
原町にある原町紡績は一つの大きなこの辺の歴史をになっていたのである。
原町市は近代化の歴史をになった街として明治から形成されていたのである。
原町の歴史をたどれば雲雀が原の野馬土手であり馬の放牧場であり次に原町村とあり宿場町として発展して明治以降は近代化した街として無線塔など原町機関区があり発展した。相馬藩内でもそういうふうに村でも町でも市でも違ったものとしてある。
郷土史はまた現代と関係ないということはない、歴史は必ず連続しているのである。
連続していない歴史はない、過去が全く消え去ることなどないのである。
江戸時代から明治になり何でも変わったかというそうでもない、実質生活は変わっていないものがかなりあった。農民の生活はほとんど変わっていなかったのである。
農民が八割もいたとなると当然だとなる。農本主義になるからそうなる。
万葉集だって以前として理解不能な面もあるがその当時の自然が喪失しても日本という自然がある限り理解しえる、富士山でもなくなれば理解不能になるにしても現実にその土地は継続しているのだから理解できるのである。
新しい意味と価値を帯びて継続されているのだ。
郷土史というときだからこれは現在と結びついてどこでも不可欠であり時間軸から思考して意義を見いだす作業なのである。
原発事故がなぜ起きたのか、これも明らかに時間軸で郷土史を探求しておくものだったのである。
400年前に慶長津波で相馬藩で700人溺死したという一行でも貴重な記録だったのである。そこから津波の危険を察知して郷土史関係の人が警告できたのである。
宮城県の学者の人がすでに科学的て発見とともに警告していたのである。
人間は時間軸で考えるのは苦手である。人間はともかく忘れやすいのである。
それが人間の弱点だから文書とかに記録していないとますます忘れてしまう。
なぜ地震国なのに危険な原発が多く作られたのか?
それは日本の風土の歴史をないがしろにしているから起きた天罰だともなる。
原発事故がなぜ起きたのか、これも明らかに時間軸で郷土史を探求しておくものだったのである。
400年前に慶長津波で相馬藩で700人溺死したという一行でも貴重な記録だったのである。そこから津波の危険を察知して郷土史関係の人が警告できたのである。
宮城県の学者の人がすでに科学的て発見とともに警告していたのである。
人間は時間軸で考えるのは苦手である。人間はともかく忘れやすいのである。
それが人間の弱点だから文書とかに記録していないとますます忘れてしまう。
なぜ地震国なのに危険な原発が多く作られたのか?
それは日本の風土の歴史をないがしろにしているから起きた天罰だともなる。
ともかく郷土に生きる人間一人一人の意義をみいだしてゆく作業が郷土史でもある。
立春に母の百才の祝いかな我が家に過ごす長き年月
この我が家を故郷か日本と置き換えると郷土史とか日本史とかに通じるのである。
「長き年月」のなかに意義が見いだされてくる。
それは個人的にも家族的にも地域的にも日本的にまた世界史的なものとして意義を見いだすことが歴史である。
だから今はいろいろ日本史でも世界史でも見直す作業がなされようになったのである。
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