2015年02月05日

ももはなぜ百になるのか? (万葉集の大和言葉は日本の原自然から生まれた)



ももはなぜ百になるのか?

(万葉集の大和言葉は日本の原自然から生まれた)


ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨(かも)を今日(けふ)のみ見てや雲隠(がく)りなむ

巻三(四一六)
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(百に伝う)磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を最後に、僕は雲の彼方に去って行くのか
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この歌は謀反の罪で処刑されることになった大津皇子が、磐余の池に鳴く鴨を見て読んだ一首と云われています。


日本語の一字で意味がある、もともと日本語は大和言葉は一音が基礎である。
二音はその一音から派生したものである。地名からこれを探求した人がいるし他にもいる
ヒという一音があり日があてられる。ネという一音があり根になる。
もの起源は藻であり藻屑に派生する。
藻は一杯あるものでありもも(百)になった。
チは地であり血であり千があてられる。
千歳がそうでありチは地であるから千歳と長いものに通じている。
千歳とは地(大地)から発したものである。
ネも極めて大和言葉的でありその痕跡は多く連なっている。
ネにつながる言葉があまりにも多いのである。
それでネから地名を解読する人もいる
もから動詞的にはモルがある。何かを盛ることである。名詞的にはモリ(森)がありモノ(物がある
つまり大和言葉でモから発する言葉はそれなりに主要語になっている。
第一モノは一番使われる言葉である。モノとは藻のように一杯あったものであり
それが物の起源だとなる。
一つの物をさしていたのではない、つまり原始の日本はモノにおおわれていたからそういう表現が生まれた。
ものがつく・・・表現は一つのものにつくのではなく・・・おおくの物がありそれにつく、おおわれることなのである。
つみが罪でありつつむから発したのも原始の日本では木であれ草であれ森であれ原始状態の自然につつまれていたからその言葉が発している。

この言葉を探求している人がいたけどこれも何か原始的な言葉である。
モモークキーネ・・・・これは原始状態の自然である。
たくさんのネがありクキ(茎)がありーネ(根)がある。
そこには道もなにもない原野の状態なのである。
地名は原野の状態をさしていることが多いのである。
この辺で山の奥の方の薔薇坂が何だろうと思ったら茨(いばらーうばら)だったのである。そこを開墾して住んだとき茨がありその名がついた。
茨城(いばらぎ)の由来も茨の中に足か住んでいたとか言われる。
万葉集時代は日本全国で二百万人くらいしか人が住んでいない
まわりはほとんど原野か山だったのである。
要する密生した木や草や森にとおわれていたのである。

なぜ大和言葉や言葉の驚異が言霊が失われたかというと言葉が生まれた日本の原自然が文明化とともに失われたからである。文明というとき弥生文明は稲作文明が原自然を破壊することから生まれた。
だから津波で松原が根こそぎ破壊されたことには驚いた。
松原は稲作で潮風を防ぐために作られた人工林だったのである。
杉林もそうである。楢とかブナがあるのが普通である。混成林が自然の状態なのである。
語源は不明。役に立たない木として、木へんに無でブナと読ませた。別名で、ソバの名があるのは、実が蕎麦の実に似ているため。
実は野生動物の食料になっていた。

ブナは用材にならないから役たたないから切って杉林にしたということがある。
それが自然破壊になり洪水が起きて麓の村が住めなくなったということもある。
原自然を破壊して文明化することは常に自然災害を作り出す基を作る。
松原ではなく混成林だとすると特に竹林だと根が強く張るから津波をある程度弱めたのではないかと混成林を新たに作る作業をした。
つくづく津波で感じたことは原自然がどうなっていたか?
縄文時代の自然を知ることが大事だったことを痛感したのである。
つまり海側に開拓した稲作文明自体が自然を無視した危険なことだったことを知ったのである

いづれにしろ百(もも)伝う・・の歌がなぜ不思議なのか
ここには日本の原始の自然の状態がありそれがなぜか理屈をこえて訴える
ただこの池は人工的な池だというときため池のようなものだというときまた違っている。ももづたふ磐余(いはれ)の池・・というとき大和言葉の理屈ではない言霊を感じる
磐余(いはれ)とはなにかわからないにしても磐と関係しているから重厚感がでている。万葉集の魅力は日本の原自然とイメージさせるから魅力的なのである。
枕詞でもそうである。現代はもう文明化が極端になり万葉集とかけ離れた環境になっているから万葉集を理解できないのである。


百才が(もも)であり桃色のちゃんちゃこになっている、でも江戸時代でも明治でも百才まで生きた人はいないだろう。90才まで生きた記憶はある。百才まで生きた記録はないだろう。
だから百才まで生きてモモが何だろうと自分なり解読した

日本(ヤマト)にそ百歳生きなば何思ふ大和心を汝(な)は知るべしかな

そもそも大和心は何なのか今やわからない、唐心が欧米の心が優勢になりすぎたのである
ただ日本人として生まれたらやはり大和心も知るべきなのである。
ただこういう文化的なことを理解するのは時間がかかるのてある。
百歳まで生きる時代になれば大和心を理解するということはある。
文化の時代は平和の時代であり吉田松陰の大和魂とか戦争中の大和心とは関係ないのである。
これまた戦争に利用されたのである。吉田松陰については最近疑問をさしはさむ人がでてきている。
そもそも大和魂とは何なのかとなるとこれまたわからないのである。
大和魂となると何か外に向かって攻撃的なのである。
それが外国の圧力に対して生まれた言葉だったのである。
原発の時も東京の消防隊が決死で水をまいた時に大和魂が言われた。
あれは何にも効果ないものだったからおおげさだったが犠牲的精神のことだったのだろうしかしこれも誤解されやすいものだった。
つまり大和心と大和魂は全く違ったものに由来している。
大和魂は吉田松陰が造語したものである
大和心に平和があるが大和魂は戦闘的なのである。
明治維新は海外に向かって戦闘的にならざるをえなかったからこの言葉が生まれたのである
時代によって言葉が死語となり新たな言葉の意味が生まれる、言葉は一定していない、常に時代によって解釈が違ってくる。



タグ:百(もも)
posted by 老鶯 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集
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