2015年02月01日

廃墟の大都会の幽霊電車(ショートストリー)


廃墟の大都会の幽霊電車(ショートストリー)


そこはその国では一番大きな大都会だった。不夜城のように灯はともり高層ビルが林立していた。人々でどこもごったかえししていた。夜も眠らない大都会だった。
女性は華やかなカルフルなファションで通りをさっそうと歩いていた。
一千万の大都会に人々は日夜働いていた。回りに畑や田んぼはないのでどうして食べ物をがあったのか不思議となった。
一千万人の食料を供給することは信じられないものだった。
でも人々は豊かに暮らしていたのである。
それがどうしてなのだろう。そこは突然誰も人も住まない都市となってしまった。
その国では原発事故がありいくつかの町と村に人が住まなくなり廃墟と化した。
ただそこは自然豊かな田舎だったので葦がぼうぼうと繁る元の原野にもどったのである。そこには野生の動物が増えて元の自然にもどったのである
しかし大都会はすべてが人工化した空間だから人工の廃墟と化している
地下鉄が縦横にめぐらされているがそこをもう電車と通らない、ただ地下鉄は洞穴のように残り通じている、上からは雨がしたたり錆びた鉄路が通じている
そのくねり曲がった通路は今になると何か神秘的である
懐中電灯で照らすとそのトンネルは延々とつづいている。駅もあり駅名もある。
ただ人は全くいない、時々コウモリとかが飛びネズミがはいまわる。
この地下鉄を多くの人が利用して混雑していたのだ。
それが信じられない、誰も人はいずもぬけの殻のようになっている
今は廃墟となり死の世界となってしまった。
本当にそこは不気味である、懐中電灯を照らしてゆくと誰か向こうから人が来るのだろうか、時々幽霊列車がここを走るという、そして影のように人が乗り降りするという。

「おい、あなたは川上君じゃないか」
「あなたは誰ですか」
「僕は山下だよ、大学時代一緒だったろう」
「ええ、そんな人いました?」
「なんだ、忘れたのかい、それもそうだな、あれから50年もたったからな」
「まだ題目唱えているのか」
「・・・・・」
「電車にサリンがまかれた事件あったな・・あれもまたこんな大都会から生まれた事件だった」
「確かに大学には行っていたけどな、時間がたつの早い、いろんなことを忘れてしまうよ」
「電車が来たみたいだよ、じゃさようなら」

こうして二人の影は別れてしまった。
あのころは学生運動があってこの地下鉄をゲバ棒をもった人達が歩いていたとかあった。それもずいぶん昔となった。
それから時間はまた数百年はすぎたのだろう。
その大都会がどうしてそうなったのか人が住まなくなったのか不明である。
ただその何百年前にそこから300キロ離れた原発で事故があり回りの町や村に人が消えたそのことがあったからそれが放射能が影響したのかもしれない、放射能汚染で住まなくなったとも言われる。数百年後にこの国の人は事故のことなど忘れたときまた原発事故があったらしいからだ。
ただ今になるとどうしてそんな廃墟になったか不明なのである。
それはマヤ文明が廃墟の階段ピラミッドを残したのとにている。

地下鉄を出ると高層ビルが今もそそりたち不気味であり影を伸ばしている。
なぜこんなに高いビルに人は住んだのかととりざたされる
辺りを見回しても人っこ一人いない、ただ幽霊がここで出会うらしい。
かすかに街灯がともる一角がある。
そこに幽霊が何人か集まる。そしてひそひそささやいている

「ここであなたと良くあっていたわね」
「う、なつかしいね」
「あの日はもうもどらないね、悲しいわ」
「青春なんかたちまち過ぎてしまうんだよ」
「そう、人間なんかはかないもんだよ、一場の夢なんだよ」
「まあ、こんなところで毎日あくせく働いていたんだよ、地下鉄でも電車にギュウギュウ詰め込まれてな、あれはなんなんだったのだろう」
「そういうことね、私も夫を会社に送り出すために忙しかったけど・・・みんな昔のことよ」

こんな会話が幽霊の影がささやいていた。この巨大な廃墟の跡を継いだものはネズミと蟻でもあった。こいつらは何かしら食べ物を見つけて生きている。
蟻はどこからでも這い出して巣を作りやはり働き続けている。
ここで働いていたものも蟻ともにていた。だから蟻がここでは生き続けている。
ともかくその大都会は地下鉄であれどこであれ迷路が延々とつづき抜け出れないのであるこれだけの大都会が廃墟となることは今では信じられない、でもその信じられないことが人間社会には起きる。
そしてなぜ人が住まなくなったのかが謎となる。
ただ幽霊電車が地下鉄であれ地上であれ時々忘れたように走っている。
その時一瞬この大都会に人が住み活動しているように錯覚するのである。



飯館村が原初の葦原になり伝説化した (葦笛の詩として引用構成)
http://musubu2.sblo.jp/article/57094940.html


これも相当読まれている。飯館村関係の人が読んでいるとしか考えられない
原発事故で起きたことは本当にドラマでもない映画でも小説でもない
現実だという驚きである。こんなことがありうるのかという驚きの連続だった。
そもそも津波もそうでありこれが現実なのかというが信じられないということがつづいていたのである。
津波で村ごと何もなくなるなど想像すらできなかった。
でも人間社会にはこういう想像もできないことが起こるということをまざまざと見たのである。
伝説というのはだから真実を基にしているのだ。
何かしらの真実があって伝説になっている
だからそれがなかったとは言えない、ただ小説やドラマのようにフィクションだったとは言えない、現実があってフィクションがある
「事実は小説よりも奇なり 」である。

この七年間の自分のことを書いてきたけどこれもそうだった。
認知症などとという訳のわからないものに家族がなるとは思いもよらなかった。
そしてまわりで起きたことも全く信じられない連続だったのである。
だから人間は想像することは現実化するというのも本当になる。
ただ現実の方が人間の想像より驚くべきものとなる。
いづれにしろ東京が廃墟になるということはありうることなのだ。
それが放射能なのか何かわからないにしてもなりうる。
そして謎として伝説として語られるようにさえなる。


結局東京そのものが現実に見えないのである。イリュージュンのようにみえるからだ。
これが人が住む世界なのかとなる。
だからある時巨大な廃墟のうよも見えてしまう。
最近すでに十年は東京に行っていないから本当に昔になった。
結局人生そのものがイリュージュンだったのである

 
タグ:廃墟
posted by 老鶯 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/113004324
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック