2015年01月28日

冬の暮(家事、介護に追われる状態は変わらない自分)


冬の暮(家事、介護に追われる状態は変わらない自分)

寒椿なおひとしきり風唸る
今日も行く同じ路地裏冬深む
海老浜や沖に船行く冬の暮
知る人の小さき畑や冬の暮
冬芒一杯のコーヒーの味深し

故郷の山脈翳り冬の朝老いにし人とまた会えるかな


家事と介護で半分以上の時間がとられる。家が広いから余計に時間がかかる。
だからこの七年間はやはり何かゆっくりすることができない
それでコンビニの前がコーヒ一杯飲むのが息ぬきなのである。
コーヒは外の景色を見つつ飲むとうまい、あそこでは百円でのめるしうまい
寒いと遠く知自転車は行きにくい、それより毎日家事に追われて時間の余裕がないのである
今まではどうでであったかというは三食は必ず用意されていたし家のことはなにもする必要がなかった。一転して全部自分しなければならなくなった。
それも最初は二人も介護していたときもあった。一人は早く死んで助かった。
こういうとき一番怖いのは介護する方が病気になることである。
代わりがないから共倒れにもなる。誰も助けてくれない、それでむごい目にあった。
だから一人というのは実際はリスクが大きい、何になるかわからないしその時どうにもならない、だから今になるとそもそもこういうことになることがわかっていたから
何らか対策を前からしておけばいいと思った。
人間は前にも書いたけど楽天的なのだろう、なんとかなるだろうとしか未来を予想しないそんな取り越し苦労しても仕方ないよというのも生きる知恵である
でも人間は最悪は本当は予測できる゛ただしないだけなのである。
今回の人質事件でも最悪は予想できたけど楽天的になっていたのである。
そうでなければなんゅ事件にまきこまれることはなかったのである。
最悪を予想しないことは別に個人的なことでなくても津波でわかったように原発事故でわかったように最悪の状態を予想して作っていない
楽観的でありそんな津波なんかこないよで最悪でもないおそらく最低の準備すらしていなかったのである
最悪を考えれは避難訓練くらいするのが普通だがそれも安全神話があるからできなくなっていたのである。

この世の最悪の日はいつかやってくる、それはわからないにしてもそれに備えることも必要である。それは人間の力でもどうにもならないのである。
だから信仰が必要になる゛神により頼む以外ないからである
おそらくこれからも予想つかない最悪のことは確実に起こる
人間は未来のことはわからないからである

いづれにしろ自由に旅していた外出していた自分がやっとコンビニでコーヒ一杯飲むのが息ぬきになることなどありえないことである。
でも現実はそこからぬけだすことができない、毎日同じ道を往き来してそこからはずれることがほとんどできないのである。
それも自分のカルマだったとなる
タグ:冬の暮
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