原発事故の原因は何なのか(続編3)
(石油文明が世界戦争となり地獄を作り出した)
●プルサーマルでは危険を指摘することすらできなかった
なぜ原発事故が起きたのかということを問うと政府とか東電の責任も重いことははっきりしている。
佐藤 が失脚させられたのはプルサーマルをしつこく追及したからである。
彼は原発そのものに反対していない、共産党も反対していない
でもプルサーマルの追及はしごく当たり前のことだった。
それでも佐藤栄佐久は政府と東電様に逆らうやつだからこらしめてやろうとなり
政府も検察も結託して失脚させたと言われる。
政府は戦時中は特高によって戦争に反対する者をとりしまったと同じである。
権力者にはどこでもそういうところがある。
ただこうした様々な原因があったのだけどマクロ的観点から見れば原発そのものに反対する人はいなかったのである。共産党もそうだからすべてそうだった。
ただ安全のことを追及していただけである。
その安全のことすら追及できないような雰囲気なっていたし実際にそこに権力によっておさえられていたのである。
ただそういうことがいろいろあるにしろではさらにマクロ的なもの時間軸で歴史的に考察するとまた違ったものとして見えてくる。
それは文明論としての原発事故の必然性なのである。
文明とかではない、単純に考えるとなぜ石油文明が悪いんだとか原子力文明が悪いだとはならない、電気はいいものだし石油だって悪いものてはない、いいものなのである。
その効用は計り知れなく現代の文明の基礎を作っているのである。
では何が問題だったのか?
要するに単純に考えれば石油でも原子力でも危険を犯してしか得られないものなのであるそれは石炭時代があったけどその時落盤事故があり大騒ぎしていた。
つまりそれらのものを得るには多大の危険と犠牲が強いられるのである。
そのリスクは見逃されているし個々には感じないが石油とるにしても現実にアルジェリアまで行っていた人を知っているがそこてテロで日本企業の人が十人死んだとか
石油を手に入れることはこうした危険がつきまとっているしコストもかかる。
そして戦争の原因が石油のために石油が入らないために真珠湾攻撃を強いられたと解釈する人もいる。アメリカの経済制裁が戦争の発端になっていた。
今でも必ずアメリカが敵対する国に経済制裁するから同じことをしている。
●アメリカが悪いのではない石油文明か悪い
世界の紛争があるとアメリカが諸悪の根元だという論調になる。
それは石油利権をアメリカを握っているからである。石油はドルでしか買えないから世界の機軸貨幣になっている。つまりドルは紙でも富と権力は石油という現物を握っているものが得られる。
いくら紙幣が支配するからといって紙は紙にすぎないし紙をすって豊かになれない
石油があり石油文明となり世界が石油のために戦争にもなり命が犠牲にされる。
アメリカが悪いのではない石油文明が悪いともなるのである。
では石油に頼らなければどうなるのか?
それは江戸時代であり鎖国たったけど貧乏だったけど世界中が戦争にまきこまれ何百万人とか死ぬ必要はなかったのである。
だからアメリカにしても江戸時代のような時代があった。それは建国時代の西部開拓時代である。江戸時代と同じ農民の社会、農本主義の社会である。
アメリカはその時、人間も質素であり質朴であり一つの巨大な自然に囲まれて楽園があったとなる。
その時は石油文明もない、江戸時代と同じ農民社会だったのである。
アメリカはその時、人間も質素であり質朴であり一つの巨大な自然に囲まれて楽園があったとなる。
その時は石油文明もない、江戸時代と同じ農民社会だったのである。
その時は世界で別にアメリカを諸悪の根元であるとか批判しない
アメリカは他国を支配したりもしない、自国で純朴な人達が楽園を作っていたとなる。
その状態をホイットマンが詩にしたとなる。
つまり世界か人間が腐敗したのはアメリカのせいではない、文明の発達とともにそうなったのである。
石油も原発も利用しない社会があり石炭とかでまかなわれた時代があった
その時は世界が世界戦争になるようなことはなかった。
石油は中東に集中するからそこから世界紛争になりやすいのである。
それは宗教問題だけではないのである。
具体的な石油文明を維持するために石油を得るためにそうなっている。
アメリカは他国を支配したりもしない、自国で純朴な人達が楽園を作っていたとなる。
その状態をホイットマンが詩にしたとなる。
つまり世界か人間が腐敗したのはアメリカのせいではない、文明の発達とともにそうなったのである。
石油も原発も利用しない社会があり石炭とかでまかなわれた時代があった
その時は世界が世界戦争になるようなことはなかった。
石油は中東に集中するからそこから世界紛争になりやすいのである。
それは宗教問題だけではないのである。
具体的な石油文明を維持するために石油を得るためにそうなっている。
そうするとなぜ人間が堕落してまた世界戦争になり残酷に大量に殺し合いたのか、その原因は何なのかとなると石油文明による富の収奪戦争だったともなる。
それだけではないにしろ富をめぐって世界各国での衝突だったとなる。
石油にたよっていなければそんな大戦争にはなりえてかったともなる。
それは江戸時代でありまたアメリカの建国時代の西部開拓時代などである。
それは江戸時代とにているからだ。
つまり石油とか原子力でもそれ自体が悪いものでもない、鉄でも道具でもそうである。
斧でも何でもそれは生活を便利にする。
それが悪いもののようにされるのは人間側の欲がからみ斧で武器になり人を殺すことになる。
ただでは薪で炭をエネルギーとしたとき戦争が起こらなかったかというと起こっていた。木材の入会権をめぐり村同士が争いそれが火種となり藩同士の争いに戦争に発展した。
相馬藩でも丸森の木材資源をめぐり米沢藩と伊達藩と相馬藩が争ったのである。
飯館村では実際に人が殺し合ったからエネルギーを得るための争いは古くからあったのである。
だから燃料を薪や炭にしていれば争いがないということでもなかった。
ただそれらはどこにでも地元にあるものだから石油のように世界戦争まではならないということはいえる。
●石油や原子力が悪いのではない、悪く利用する人間が悪い
石油とか原子力でも本来は悪いものではない、ただ人間の欲心や野望などに利用され危険なものとなる。原子力は核兵器になりそれで人類滅亡だというときそれは核が悪いのではない、それを悪い方に利用する人間が悪いのである。
つまりアメリカが原子爆弾を落としたようにそこまで戦争になると人間はやる。
いかに戦争が残酷なものか、その真実を知ったらまさに戦争はこの世の地獄意外のなにものでもない
日本兵はいろいろ残酷だったといわれるのも本当だろう。
しかし日本人が捕虜になったとき本当にその仕返しなのか残酷無惨に殺戮された。
それは今明らかにされている。布をかぶせられて頭を何か道具でたたきつけられて殺されそのまま埋められたとか、飢えて脱走して近くの農民から食料を盗んだ日本兵を知っていて中国人がねらいうちして殺したとか、残酷な日本人捕虜がありシベリアへ連行された人達もそうだった。
それを知ったら戦争などどんな美名の下にやるにしてもやりたくないとなる。
もう人間が人間でなくなるのが戦争である。
それはどっちが正しいなどなくなる、やられたらやりかえせしかない
日本人の捕虜はそうして悲惨に撲殺されたのである、まるで屠殺だったから悲惨である
戦争とはそういう現実があることを知るべきである。
もう人間を人間と見なくなっている、相手は物か動物に等しいものにされていたのであるそういうことを知ったとき本当にそんな時代に生きたら最悪だったなとつくづく思う。
だから心底助かったと思う。それも時代的に団塊の世代はほんのわずかの差で戦後生まれになり平和を満喫したのである。
若い人が平和に不満な人がいるがまず戦争のことを良く知らないからそうなる。
血の気が多かったらスポーツでも登山でも激しい運動でもやればいいのである。
もう人間が人間でなくなるのが戦争である。
それはどっちが正しいなどなくなる、やられたらやりかえせしかない
日本人の捕虜はそうして悲惨に撲殺されたのである、まるで屠殺だったから悲惨である
戦争とはそういう現実があることを知るべきである。
もう人間を人間と見なくなっている、相手は物か動物に等しいものにされていたのであるそういうことを知ったとき本当にそんな時代に生きたら最悪だったなとつくづく思う。
だから心底助かったと思う。それも時代的に団塊の世代はほんのわずかの差で戦後生まれになり平和を満喫したのである。
若い人が平和に不満な人がいるがまず戦争のことを良く知らないからそうなる。
血の気が多かったらスポーツでも登山でも激しい運動でもやればいいのである。
つまり石油文明にならない江戸時代とかアメリカの建国時代には西部開拓時代はそういう世界戦争が起こる余地がまだなかったのである。アメリカの建国自体がインディアン虐殺がありそういう血にぬられたものが根底にあった。
だから日本の江戸時代とは違っている。でもやはりその当時は農民社会の楽園を目指していたのである。だから自然との共生を目指す農民的モラルが支配的になっていたのであるアメリカ人が悪いとかではなく、結局世界文明は石油文明であり同じ文明になっている。としたらその文明自体が文明人がみんな同じように悪いとなってしまうのである。
だからこそ世界戦争となり人はもはや人ではない、獣性丸出しの残虐な殺し合いしかなくなっていた。20世紀はそういう人間大量殺戮の時代でもあったのだ。
それは石油だけではない世界が一つの文明を共有する文明人になったからである。
アメリカ人だ、中国人だ、日本人だという民族で分けることは通用しない
同じ文明を共有するものとして文明人だから殺し合いになったのである。
ともかく江戸時代のような生活とかアメリカの建国時代のような西部開拓時代のようであったならば人間がそこまで残酷にはなっていない、素朴な人達がいたとしたらそんな残酷なことを例え外国人でもできないのである。
ましてキリスト教徒だったらそんなことしえるだろうか?
異教徒は人間ではないというのもあるが「愛」を説いている宗教がそんな残酷なことをしえるのかとなる。「人を殺すな」とは外国人でも同じだからである。
たいがい宗教はそういうものであり人間が人間でなくなるようなことはできないのである
アメリカ人だ、中国人だ、日本人だという民族で分けることは通用しない
同じ文明を共有するものとして文明人だから殺し合いになったのである。
ともかく江戸時代のような生活とかアメリカの建国時代のような西部開拓時代のようであったならば人間がそこまで残酷にはなっていない、素朴な人達がいたとしたらそんな残酷なことを例え外国人でもできないのである。
ましてキリスト教徒だったらそんなことしえるだろうか?
異教徒は人間ではないというのもあるが「愛」を説いている宗教がそんな残酷なことをしえるのかとなる。「人を殺すな」とは外国人でも同じだからである。
たいがい宗教はそういうものであり人間が人間でなくなるようなことはできないのである
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