夏草をむしるや故人を偲びつつ
今年は二回ばかり母方の実家の西山家(仮名)の繁った夏草を刈った。韓国で一族の墓を掃除することが慣例となっていることをテレビで見た。韓国の墓は古墳のような丸い塚である。古墳は墓だから原始的なものをまだ残している。姓を重んじるのもそうである。姓が非常に少なく姓による団結が強い、一族意識が強いのである。地域的団結も強いことなど原始性を残している。親を祖父母を敬うことも儒教の影響で未だに残っている。年上の人をたてるのもそうである。女性が低く見られるのもそうである。
これも現代化すると薄れてゆく、韓国では少子化が日本より激しいというのは意外である。近代化すると少子化が起きるのは共通である。お盆であるがやはり故人を死者を偲ぶことは必要である。そのために墓もある。故人を死者を偲び今生きることの意義をかみしめる。というのは西山家の墓には二〇歳代で肺病で死んだ人が埋まっている。交通事故で四二才で死んだ兄も埋まっている。草をむしりながらその人たちを偲び自らを省みるのだ。ともかく草は墓の回りの溝の割れ目から生えてくるから根をたつことができないから一カ月くらいするとまた草むしりにいかないとならないのも困る。西山家の墓を掃除する人が自分しかいなくなっているのだ。西山家は跡を継ぐべき家の姓が変わってしまったので墓も別になってしまったし福島市に住居を移してしまったのでそうなった。
姓が変わり別れると別系統になってしまうのだ。靖国神社で分祀のことが問題になっているが分祀できないというとき天皇が一つのように国の御霊も一つとして祀られるとわかりやすいが二つになると実は国も分裂したようになるから反対しているのかもしれない、個々の家族でもそうなるよう靖国も分祀したりするとそれぞれが勝手に別々に御霊を祀り行事も別々になり将来的には分裂してしまいそれぞれが別な意味を持つ歴史的行事となってしまうかもしれない、一方は古来の日本の伝統の御霊を祀るのだが一方は関係なく戦没者を慰霊する平和の祭典とかなってしまうのである。天皇に姓がないというのは源氏であれ平氏であれどっちかに分裂することを避ける日本人の知恵だったのだ。天皇は日本統一の象徴なのだからどっちに味方するということはなく日本を一つにするために姓がなかったのである。