2015年01月01日

2015 新年の短歌十首 (大晦日は霰、元旦は北風、地震もあったー羊年は天候が荒れる?)


2015 新年の短歌十首


(大晦日は霰、元旦は北風、地震もあったー羊年は天候が荒れる?)

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羊年穏やかなれや月に石

夜になり北風やみぬ月に石

去年(こぞ)置きし石の一つや新年のめぐりてここに親しみよりぬ

我が庭に新しく置く石一つ月の照らして年改まりぬ

玄関に枯木の影や勤めにし苦労のみの重なる女かな

大晦日霰ふりにき老いてなお苦労の消えぬ故郷の女

元旦に北風唸るもここにしも我が家にあれ守り受け継ぐ

故郷に重荷なる人誰が背負ふ年の明けしも変わらざるかも

悲しさはただ重荷としてある人や誰が負うべしやカルマなるかな

新年や介護の日々のなおつづく石の一つを月の照らしぬ


今年はどうなるんだろう、大晦日は霰だった。今日は北風が一日唸りどこにも出れなかった。
羊年だと何か穏やかであるような感じではあるがこれもわからない、そうあってほしいというだけである。
結局自分にしても介護になってからずっと家族でも自分でも重荷を負う生活である。
それは何ら変わりない、今年もそうだろう。
一生重荷を背負わされた女性もいる。それで十年ふけてしまった。
障害者の子供とかもち一生重荷から解放されない女性である。


人の世は重き荷を背負うて遠き道を往くが如し 徳川家康


小高でも他でも津波の被害地も誰が重荷を背負うのか、誰も背負いたくないとなってみんな若い人も町を出てゆく、補償金もらって出た方が楽だとなる。
そこで家族もばらばらになり町をになう人がいない
誰かが重荷を背負わねばならない、でも誰も嫌だとなり家族はばらばらになり町は放棄される。それはもともとそうした絆が失われいたからとも言える
なぜなら戦国時代でもなぜ死んでまで主君に尽くすのかとかなるからである。
そういう一体感がすでに広域化グローバル社会でなくなっていたともいえる

個々人にしてもそうである。。なぜそうなったのか?いろいろ考えてもわかりにくい。
結局カルマなのかもしれない、それぞれの人が負っているカルマなのかもしれない
結婚の相談とか離婚の相談している女性が結局結婚もカルマだといっていた。
離婚もまたそうである。
身近な人でもなぜあの人は夫で苦労する女性なのかというとそれが親子二代だからカルマだったとなる。これもそうしか解釈しようがない例だった。
自分も介護とかなっているのは明らかにカルマである。
カルマは借りでありその借りを返すことを要求されているのである。
どんな人も何らかのカルマを背負いカルマを負わされているのである
それから逃れることはできないのである。
見栄とかで借金した人が他人に借金をおしつけて解決するのか
そのカルマは自分で払わない限り返せないのである。
もしそうだったら人生はあまりにも楽だとなってしまうからだ。

今年の元旦は月が光り北風がなる、そして新しい石を思う
石となるとなにか穏やかであり月もそうである。
「石と月」の元旦であり朝日が昇る元旦はなかったのも不思議である。
羊年とは何かこれもわかりにくい、ただ羊は月なのかもしれない、太陽とは違っている。獅子だったら太陽だが羊は控えめだから月になる、だから月と石と羊はあっているかもしれない。
元旦で天候はいつも違っているし心境も違ってくるのである。


羊年は天候的に荒れるのか?
細かい枝というのもそうなのか、干支などで運勢などわからない
ただ羊とかはどういう性質なのかということは通じている。
羊は穏やかであり従順だということである。
その年の運勢とはそれがどう関係してくるのはわからない。
今年は穏やかになるとは限らない
そう願ってもどうにもならない、
確かに天候は大晦日に霰であり元旦に北風で地震もあったから
やはり荒れ模様なのかともなる
ただ月は光り穏やかであった。
天候がわからないのは地球全体と関係しているからである
一局所を見てもわからないのである。
地震なども地球全体が関係しているかわからなくなる
人間は地球でも宇宙でも全体になるとわからなくなるのである


タグ:羊年
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