2015年01月01日

新年おめでとう(2015)

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南相馬市鹿島区「花幸」の今年の正月の作品

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青い花は水に青い染料を入れて吸い込ませて色をだした
やはり花屋はいろいろてことをしっている

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新年おめでとう


大輪の菊こそ映えて幸あれや新年迎え健やかにあれ


去年は楽な一年でした。
今年は体も回復してさらに元気に活動したい
ただ介護があるので遠くには行けない
つくづく人間は健康第一です
健康だったら長寿も何ら問題ない
若い人にも負担はかけないのである
高齢化社会の問題はいかにして健康に長生きするかにある
死ぬとしたら元気に活動しているような状態で死ぬの理想である。
仕事していてその後一二週間で死んだ人がいる
そういう死に方が理想である。
寝たきりとか介護とかになると長すぎるし負担をかけすぎる
高齢化は負の面のみ言われるが
何かを成す創作する人にとっては時間が余計に与えられるからいい
旅をしてもある場所を理解するには時間がかかるのである

現代はグローバルであり世界のことを知ろうとしたらさらに時間がかかる
現代が長寿になったということはグローバル社会に適応するためだともなる
江戸時代辺りだったら理解することは少ないから短命でも良かった
今は理解することが多くなりすぎている、何でも理解することは時間がかかるのである。自分も今になるといろんなことを理解できる
これはこういうことだったのかと理解できる
本などもこれは何を言おうとしているのかわかる
そしてそこから自分なりの見解に導くことができる
「少年老いやすく学なりがたし」というのはその頃高齢社会ではない
文字通り老いやすい時代だったのである。
現代は70でもまだ現役だとか元気な人が多い
学なりがたしとはならない時間がさらに与えられることで学が成るということもある
それが高齢化社会の利点と言えば利点である。

それにしても人生は短い、電車で旅していたのもあきて自転車で旅し始めたのが40代である。それから50代で世界旅行していたら還暦であり人生も終わりのかと思った。
人間は遊んでいても何もしなくても時間はまたたくまに過ぎ去ってしまうのである
ゲームやっていても時間は過ぎ去る、何かをしようとしたとき時間も体力もなくなっているのである
人生に与えられた時間はそれほど短かったというのも現実だった

高齢化社会は団塊の世代が退職してこれからはじまっているのである
まだ本当の高齢化ではない、これからの十年とかが高齢化社会なのである。
その中で団塊の世代は何らか数が多いから社会に影響する
批判が多いが今度は新しい老人文化を作るということもありうる
ただそのことはまだわからないのである
老人が金を持っているということは消費の面で影響する
そのことは何かを新しい消費の形態を作り出すということにも通じている
白い髭をはやした老人がバイクで疾走しているのも高齢化の光景である。
盆栽などをしているのはまれな方だろう。
ただ様々な老後の過ごし方があってもいい
今年はともかく体が回復して健康になり活動したいとなる
そういう希望がでてきたのである

今年も一年よろしくお願いします

 
タグ:新年
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