2006年08月07日

夏燕(美瑛のライダ−宿)

干し物のはや乾いたり夏燕

北海道を自転車で回ったときライダ−宿に泊まった。納屋を改造したもので八〇〇円くらいだった。そこは美瑛だった。泊まったの春先であり一人だった。そこの主人が農業なんかやっていられないくどくわくどくわいやになった。中国の方がましだととか延々とくどくのだ。本当に北海道でも農業は大変なのだろう。ところどころ廃屋になっているのが多いから農業を捨てる人がかなり多いのだ。その農家の前に二軒小さな貸家が二軒がありそこも廃屋だった。が北海道は廃屋が多いことはまちがいない、庭にはきれいな花が咲いてそこが廃屋だと思わなかった。最近家を捨てたのだろう。それから赤い屋根に住んでいる写真家がいた。これも他の有名な写真家をくどいていた。芸術家は嫉妬する人が多いというのは確かだろう。私はそもそも高い宿に一万だとか泊まりたくない、グルメの旅は旅ではない、旅はうまいものを食ったり保養ではない、どこまでも自由に行く旅そのものにあるのだ。だから宿は安くて泊まるだけでいいのだ。江戸時代辺りは旅が長いから泊まるだけの旅だった。戦前も木賃宿などあったから木(薪)を借りる宿であり自炊する宿だったのだ。

一般の旅行者が宿泊するところには旅籠屋と木賃宿がありました。
旅籠屋と木賃宿との違いは、食事が付いているか付いていないかの違いです。旅籠屋では夕食と朝食を出し、店によっては昼食の弁当を出すところもありました。
一方、木賃宿は、旅人が米を持参し、薪代を払って自分で米を炊くかまたは炊いてもらいます。「木賃」とはこのときの薪の代金、つまり木銭(きせん)を意味しています。
江戸時代以前には木賃宿が宿泊の本来の姿でしたが、庶民の旅が盛んになるにしたがい、次第に旅籠屋が増え、宿代も天保年間(1830〜1844年)には旅籠屋は木賃宿の5倍以上もするということで、木賃宿は安宿の代名詞となってしまいました。場所も宿場のはずれなどにありました


現代の木賃宿の旅しようとするとライダ−がキャンプ道具一式、所帯道具を一式積んで一カ月くらい旅する若者である。それ以外日本では長い旅をする方法がないのである。

下着干しライダ−ハウスに蛙鳴く

ハエ唸るライダ−ハウスも面白し


北海道−夏の俳句 http://www.musubu.jp/hokkaidouhaiku.htm

旅は「蚤虱馬の尿する枕もと」であったりする方が一興なのである。豪華なホテルに泊まることは保養にはいいにしても旅にはならない、そもそもだから日本には旅の宿はなくなっている。保養の宿であり旅の宿ではないのだ。

ともかく干し物がすぐに乾く、汗だらけの下着も洗って干せばすぐかわく、そして夏燕が気持ちよく飛ぶ、こういうのが旅であり豪華なホテルや宿に泊まるのは旅ではない、つまり現代では旅は自ら演出するほか旅はできないのだ。
富良野と美瑛を間違いました、美瑛は丘の町で有名
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