2006年08月07日

認知症の衝撃から半年過ぎて(認知症の誤解)

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●無知ではすまされない現代の常識

認知症の衝撃から半年間たった。二年ほど前から軽い症状はでていたが私は気づかなかった。毎日接していた人は気づいていたのだ。医者も気づいていて精神病の薬を与えていた。なぜ医者が気づいていたかというとここの医者では今も母親が認知症で施設にあづけているし父親も家で認知症にかかっていたらしい。だから良く認知症のことがわかっていたのだ。でも私には認知症がボケがいかなるものかわからないし説明も受けていないから対処していなかった。突然妄想とかで暴れるようになったから驚いたのである。認知症とはどういうものでどう対処したらいいのかとか知っていれば教えるべきだろう。それが医者の勤めである。ただ医者自体がお手上げで施設にあづけているのだからどうにもならない病気だともなる。ともかく認知症に対する理解は単なる老人のボケくらいにみている人がまだ多いのではないか?私は全く認知症という病気について無知だったのだ。社会性がともしいと社会と広く接していないとこういうこともわからない、兄の交通事故の時も自賠責すら知らなかった。車に乗らないからわからなかったのだ。基本的現代の社会的常識すらわからなかったのだ。

人間の無知は実に恐ろしい、これからは認知症に対する基本的知識は誰でも知っておくべきである。つまりパソコンを知らない人はパソコンについては無知である。では全く無知でいられるのかというと全体がインタ−ネットととかパソコン時代になったときその世界が知らないですまされなくなっている。これは自賠責を知らなかったですまされないように認知症も知らないですまされないように現代の常識だから知っておく必要があるのだ。宗教カルトもこれも現代では知っておく常識であり知らないからしかたなかったではすまされないのだ。

●認知症の誤解

認知症については直接家族がなってその介護をしない人には今でもわかりにくいものである。最初金やいろいろなものを盗られると思って隠すと思っていたが隠すのではなく置くべき場所に置けなくなる。整理ができなくなるのがこの病気の特徴でもある。なぜそんなに隠すんだというとどうしても変な所に置いてしまうんだよなと自分でも言っているのだ。タンスがあり引き出しがあったとする、小物入れがあったとする、ABCとあればAにはAPPLE,APRON,ARROW・・・・とか単語があればAを接頭語とするのをAの引き出しに入れたり出したりする、Bを接頭語とするものはBの引き出しに入れるのだ。これは野菜を入れる場所とか果物を入れる場所でも同じである。認知症になるとAの引き出しにBを入れたりする、野菜の引き出しに果物を入れたりと混乱してくる。それがわざとやっているのかと思ったら整理できないからそうしているのでありわざとではないのだ。自分でもなぜそうするのか困惑していたのである。金にしても金が数字となって存在することがわからないから現金で持てばわかるとなる。現金を見せろとか現金で家に置くとかすればわかりやすいのである。つまり抽象化思考ができなくなるのがこの病気の特徴でもあったのだ。一方で世間話はできるし大人としてわかっていることはわかっている。ただ知能が低下してわかってよさそうなことがわからないのだ。では認知症は完全な痴呆なのか何もわからない人なのかとなるとそうではない、それなりにわかることもありわからないこともあるという不可解なものになる。

●人格は変わらない(陽気なボケになった?)

K子の人格は外向的社交的で楽天的だった。その性格は一時的錯乱状態の時は人格まで変貌したと思った。情緒的に安定すると性格は変わっていない、今では忘れても開き直って笑い飛ばしたりしてもいる。誰もそのことを責めないし居心地いいから前のように楽天的に陽気になっているのだ。一時期自分の病気で暗くなっていたし今でも怒ると泣いたりする。ただわかんなくなったんだよ・・と自分の病気を嘆き泣いている。病識をもって嘆いているのだから病識をもたないで暴れていた錯乱状態の時とは違っている。なんか自分自身がおかしいということを気づいてきたからそういうのである。人格まで変わってしまうとそれが長年つきあっていた肉親なら母なり父なりなのかという深刻な問題になる。人格が変わらないとやっぱり前の母であり父なんだとかなり安心する。なんかしらないけどK子の場合、もともと陽気だったから陽気なボケになってしまった感じなのだ。ボケになるのもその人なりにぼけるとかいう。暴力的な人はより暴力的になり内向的に陰気な人はさらに無口になり陰気になボケになるとか性格がボケには反映する。

錯乱状態の暴力から比べるとかなり回復したとなるのか?今は接するのが楽である。一時期見放されるとか何か非常な不安を抱いた、それが妄想とか暴力になったのかもしれない、今では今まで通り家の中で暮らしていけることがわかったので安心したのかもしれない、不満がないから怒ったりもしない、怒る相手もいない、だから情緒的には安定しているから前の陽気な性格にもどっている。ただ物忘れはひどくなっていてこれからどうなるのかわからない、やはり老年の認知症は若年性とは違い対処の仕方で多少は回復したり進行がとまるのかもしれない、今はそうした状態になっているからだ。
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