2006年08月06日

石二つ(認知症の介護には寄り添う人が大事)

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寄り添いて昨日も今日も苔むせる庭に石二つ西日さし暮る

認知症には常に側にいてよりそう人が大事になる。よりそう人はもともと関係がいい人でないとだめなのである。兄弟関係でも特別思い入れのある、愛した人だとうまくいくがそれほどでないとうまくいかないのが普通だろう。ただテレビに出て来た人で一人娘が父親を介護しても重度になり施設にあづけるようになったからこの公式があてはまらない場合もある。介護する人に恵まれても若年性のアルツハイマ−はうまくいかない場合がある。でも一般的に介護する人が良ければ4年で死ぬのが10年に伸びたとか穏やかになったとか効果があるのが普通だろう。介護する人とうまくいかないと感情的に怒りっぽくなったりするから良くないのだ。この病気は感情的平静を保つことが大事である。するとあまり問題もなく水が流れるように従順に時が過ぎてゆく、今の私のK子はそういう状態になっているから楽である。つまり情緒的に安定しているからである。何か失敗しても指摘したりもしないしやれることはやらせている。家事をしているからそれなりに自信がついたりと自分自身が満足している。

こんなふうにして介護している人の日記がインタ−ネットで発見した。これは本当に細かいところまで母親をやさしく見守っているから重度になっても人間として敬われているから家族の一員としてその役割をもたせようと努力しているから人間的状態を保つことができるのだ。認知症は物忘れではにている。最近物忘れがひどくなった。卵を毎日食っているのに卵食わないから卵買ってこようとか言っているし食べたこと自体忘れているときもあるらしい。この忘れ方には驚く。どんどん忘れ方がひどくなるとどうなるのかという不安がある。やはり身近な人が誰かもわからなくなるほど忘れてしまう病気なのだろうか?

なぜよりそう人が大事かというと精神的にそれで安定するからだ。子供が常に母親の側にいないと不安なように常に側に安心させる人がいると認知症の人の情緒も安定するのだ。それとなじみの環境も見慣れた人と接しつづけることも情緒を安定させる。情緒が安定すると忘れ方がひどいにしろ介護する人は楽なのである。ただ困ったのは24時間離れなくなることなのだ。夕方食事の容易に買い物に行き遅くなると不安になるらしく玄関で待っていたり親戚の人に帰ってこないとか電話までしていたのだ。昼間はいいにしても暗くなると不安になる病気であり子供のようになってしまう病気である。自分自身もなんとか一日でも離れて気分転換したいのだがその手だてが見つからない、朝早く出て4時ころまでに帰る他ないのである。まるで森の魔女に捕らわれの身になり逃げられなくなったような気もするのだ。石に苔むすほど互いに長い時間を過ごした関係だから一緒にいることは今は苦痛ではないし家族として暮らしていた時とさほど変わらない生活でもある。

認知症の問題は個々の家庭によって解決方法も違っているから公式化一般化しにくいのだ。自分の家族はあまりにも特殊であった。だから認知症本人のいいようにしたらいたって気分よくなり情緒的に安定して扱い安くなったのである。自分自身が今の状態に満足しているからそうなった。では他の認知症患者が暴れたりするのはなぜか?家庭で施設で今の環境に人にしろ回りの環境にしろ不満だから暴れたりしているのだろうか?その人の満足するような環境を備えてやればそんなひどい人間を逸脱したような悪鬼のような存在にならずにすむのだろうか?そのへんがこの病気のよくわからないことだし自分自身もそうなってしまうことを一番恐れているからいろいろ今のうち手を尽くしているのだ。

参考−母の介護−随想集

http://blog.goo.ne.jp/chindonsyan_001/


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