2014年12月22日

東京駅開業100周年限定Suicaで混乱 販売中止に (百歳になる自分の母が生まれた年にもなっていた) 今年も暮れようとしている。


東京駅開業100周年限定Suicaで混乱 販売中止に


(百歳になる自分の母が生まれた年にもなっていた)
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1904(明治37)年2月:日露戦争がおこる。
1906(明治39)年11月:南満州鉄道株式会社ができる。
1912年(明治45年)石川啄木死去
1914 東京駅開業
1915(大正4年)母生まれるー2015年で100歳
1921年(大正10年)7月に現在の福島県南相馬市原町区高見町二丁目(北緯37度38分8.58秒
原町無線塔は、底面直径17.7m、突端直径1.18m、尖塔高約201m、鉄筋コンクリート製の電波塔で、1928年12月に依佐美送信所の鉄塔(250m)が完成するまでアジアで最も高い建築物であった。
1923(大正12)年9月:関東大震災がおこる(死者9万9000人、行方不明者4万3000人)。
1932(昭和7)年3月:満州国建国宣言が発表される。
1933(昭和8)年3月:国際連盟から脱退する。
1945(昭和20)年8月:日本が連合軍に無条件降伏し、天皇自ら終戦の詔勅を放送する。


最初鉄道で旅していたから鉄道に興味を持つようになった。
自分の母親が来年で2015年で百才になるとき東京駅が開業したのは次の年であり2カ月くらいだった。ほぼ東京駅が開業した年に生まれたのである。
明治とか大正時代で錯覚しているのは人口が今の半分だったということである。
6千万しかいないとしたら風景まで変わっているだろう。
その変化が大きかったのである。百年で人口が倍になるということがどういうことか
そういうことは日本の歴史でもなかったし世界でも人口がこんなに増えることはなかったのである。
鉄道の歴史は日本が全国に鉄道網を張りめぐらされた結果日本人という意識をもったというほど鉄道の影響は大きかったのである。
切符を買えば日本だったらどこにでも行けるということは徳川時代からすれば関所があり簡単に他国に行けない時代からの大きな変化だったのである。
年表を見ると石川啄木が死んだのは1912年でありそのあとに東京駅が開業している。
だから上野駅の短歌を残しているが東京駅についてはない。
東京駅は大正時代を象徴する建物だった。

1921年に原町無線塔が建っている、関東大震災のことをアメリカに伝えたというので有名である。これも時代を象徴する建築物だった。
昭和になると戦争準備の年のようになっていた。満州へすでに進出していたからである。
鉄道の歴史をたどればそれも日本の歴史でもあった。満州鉄道というのもそうである。
釜山からソウルまでの鉄道を敷いたのも日本だった。その駅舎も残っていた。
日本は明治から鉄道の技術が進んでいたのである。それは現代では新幹線となりリニアまで発展している。鉄道が国を造ったという側面があった。
だから「国鉄マン」というとき誇らしいものがあった。
また地方でも国鉄で働く人が多かったしその人たちの組合が社会党を作っていたのであるそれが国鉄民営化になったとき衰退した。社会党も消滅した。車社会となり鉄道は衰退した。高速道路の時代へ車社会へと移行した。

東京駅はやはり何か東京の中心という感覚になる。東京は地理がわかりにくいし何か目印となるものがないし文化財にしても見るものが少ないからあれだけの都市でも歴史としての重みが感じられないのである。江戸時代300年の歴史を象徴するものがない、だから江戸城を復活させようとする運動かあるのもわかる。
皇居となっているのは明治からであり新しいからである。
ただ東京駅から皇居に通じているから東京駅に降りると東京の中心にまたは日本の中心に来た感覚になる。
日本はやはり天皇がいる所が中心になる。
ただ江戸時代は京都と江戸があり江戸が中心だったのである。
その江戸城に皇居が作られたから何か違和感を感じる。京都のように御所があればふさわしいとなるが江戸城というとどうしても徳川幕府の城だとなるからである。

京都だったら天皇からイメージするものがいくらでもある。だから天皇の都だったという意識がいたるところから感じる。江戸時代はむしろ東照権現が家康が起こしたものとして江戸があり日光があった。天皇にまつわるものは江戸時代はないから歴史的な連続性が感じられないのである。
江戸城が再建されたら皇居を見下ろすようになり宮内庁が反対だというのもわかる。
そもそも明暦に消失していたのだから江戸のシンポル的存在ではなかったというのもわかる。だから江戸時代の侍でも町民で意識されていないものだった。
徳川時代だったら日本橋が江戸の日本の中心だったのである。そこも交通の要所であり東京駅とにていたのである。
建物だけが建ってもそれがシンボルとなるにはやはり民衆の中でそれが価値あるものとならないとシンボルにはならない。
ヨーロッパが人気があるのは歴史がローマ時代でも二千年前でも遺跡として残っているから昔を偲べる。駅舎がドーム型になっていて聖堂のような感覚になっているのもあった。すると何か建物から威厳を感じて人間にも威厳を与えている。
「アテネの学堂」のような絵がなぜできたのか納得した。
ヨーロッパは都市でも建築の中に組み入れられたものとして作られていた。
だから整然として計画的に街自体が建築のように作られているのである。
建築には私的なものではなく公共的な概念が強いのである。
だから市民共同体はヨーロッパにあっても日本にそいういう基盤がなかったのである。

ただ東京はあまりにもビジネスへ一辺倒であり文化的なものがないから魅力がない
京都だったら寺が多くて困るけどそこには歴史があり文化的なものに満ちているから違ってい。江戸時代300年の歴史を象徴するものがないのが淋しいのである。
東京駅はやはり明治からの日本を象徴するものだがこさもオランダの駅の真似であり独特のものではない、だから日本独特なものを見たいとなると城がいいとなるのである。
東京駅に煉瓦作りであるときやはり名詞大正とかまでは煉瓦作りの建物が多い、それが日本全国でシンボル的建物になっている。特に銀行に煉瓦作りの立派なものが残っている。それから南相馬市の大原の廃屋の外風呂は煉瓦作りだった。
だから煉瓦作りとなると何か明治大正の時代を象徴していた、あそこもそれだけ古いのかともなる。富岡の製糸工場も煉瓦作りであり郷愁を感じるのである。
煉瓦は木より火事に強いから日本に普及したとも言われる。
とにかく江戸城もすでに明暦時代に火事で消失したように木だと常に火事で燃えているからである。

道幅を広げて飛び火を防ぎ、特に銀座の表通りの建物だけは、延焼を防止するために、従来の木造建を廃して、総て煉瓦造りの英国風建築に改造する都市計画を立てます

東京駅黄金色の銀杏散りしきて皇居に向かふ威を正しつつ
東京駅煉瓦の古りぬ行き交える人のあまたや年のくれかな
東京駅一騒動や百年をすぎて迎えむ新しき年を

東京駅の短歌とか詩とかはインターネットに見つからない、相当あると思ったがない
本の中にはあるがどこにあるかわからないから困る。
東京にはすでに十年は行っていない、月日がたつのは早い。
今年も暮れようとしている。


タグ:東京駅
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