2014年12月08日

言葉は文化でありその背景に歴史と風土がある (尊敬語は今では相手を気づかう言葉に変化している)


言葉は文化でありその背景に歴史と風土がある

(尊敬語は今では相手を気づかう言葉に変化している)

近代以前は平安時代の京都の貴族語に基づく文語体が標準的な書記言語として広く通用し、口頭言語についても、江戸言葉が成熟する江戸時代後期までは京言葉が中央語であり、京都を中心に新語が日本各地に伝播していったとされる

日本語は複雑である。尊敬語とか謙譲語とか丁寧語があるというときこれも複雑である。尊敬語と丁寧語は普通に今も使われている。ただ謙譲語は使わなくなっているだろう。
その区別がむずかしいしめんどうである。
こういう言葉使いはそもそも意識してできるものではない
言葉使いは無意識的にしているのである。
そもそも尊敬語とか謙譲語はどうして生まれたのかといえば宮廷内で生まれた。
そこには上下関係があり敬うことが日常的にされていたから尊敬語が生まれた。
上の人にへつらうということも尊敬語にはあり反面本当に敬うということも言葉にある。言葉は同じ言葉でも言い方でも何か違ったように反応する。
言葉は数学と違って記号ではない、人の感情が入るからそうなる。
だから標準語にしたとき、何か味気ないものになった。何か記号を読んでいる感じになる方言には感情が入りやすいが標準語はまさに全国標準で伝えてわかるために明治維新後に普及させた。今では共通語としている。

言葉が京言葉が中心だというとき文語体の言葉が敬語が沖縄とか青森に残っているのもそうである。かえってそうした辺境に古い言葉が残っている。何か言葉の化石のようにも思える。沖縄は別な言語のように見えても京言葉があるように京都中心に広がった言葉であるから言葉的には日本文化を受け継いでいる。古代から京言葉が中心であり標準語だったとなる。方言と思えるものもたいがい京言葉を標準語として変化したものなのである。
それから武家の言葉と庶民の言葉が違っていた。武家の言葉がやがてまた庶民の言葉になった。江戸時代は地方でも武家と庶民は違った言葉使いをしていた。の言葉使いから階級かわかり身分がわかるようになっていた。言葉さらに職人言葉とかもありその仲間うちでも独特の言葉が生まれた。そういう特殊な言葉がマタギ言葉として残っている。
要するに江戸時代までは言葉すら多様であったということはそれだけ地方でも一地域でもそれぞれ独自の生活があったからそうなった。
もの作りにしても実際は地域地域でも同じ地域でも違ったものを生産していたのである。飯館村の凍み大根がうまいというとき飯館村は高原地帯で寒いからいいものができた。
凍み大根は寒ければ寒いほどいいものができるからである。つまりそうした地域地域にあったものが生産された。福島の桃がうまいのはあそこは夏は特別暑いからうまいものができる。

言葉というのはボリネシアとかでは百種類の言葉があるとか島ごとに言葉が違っているとかそういうのが普通だったのである。それは互いに交流が不便でできないということが影響していた。だから日本でも江戸時代まではそうであり明治維新後に標準語を必要としたのである。でもその結果として一様化画一化した。つまり文化は多様性であり画一化しにくいから文化なのである。みんな同じになったら文化ではない、現代文明は大量生産でものも世界規格で同じにして普及した。工業製品はそうすることが便利だからそうなる。
ただ文化となると言葉でわかるように画一化しにくいのである。
言葉は深くその土地に根ざして生まれてきているからである。
英語にしろというときそれはグローバル化社会ではその方が便利だからそうなる。
でも英語にしてもイギリス英語でもそもそもクェーンズイングリッシュがあり庶民の英語とは違っていた。それは日本の敬語が宮廷から生まれたのとにている。
アメリカ英語はそもそもイギリスに発した英語とは違っているという。
その相違をわかる人は相当に英語に通じている人である。

なぜイギリス英語とアメリカ英語が違ってきたのか?
それはアメリカに移住した人たちが長年その土地で使っていたら同じ英語でも違ったものになっていった。
アメリカの歴史は西部開拓とかで培われたものが根底にある。
西部というとグランドキャニオンとか見ればわかる。あそこはまるでどこか別の惑星とすら感じる光景なのである。
そういうアメリカの広大な世界で培われるものはイギリスのような狭い島国で培われるものとはあまりにも違っていたのである。
ただ不思議に西部開拓時代は日本の江戸時代ともにていたという不思議がある。
なぜなら農民であれ職人であれそうした働く人達が主役となった世界だからである。
それを詩にしたのがホイットマンの詩だったのである。

そこには日本の貴族も侍もいない、イギリスの貴族もいない世界でありその国を作るのは農民の開拓者と職人など手職をもった人達である。その時機械も発達していないから余計にそうなったのである。だからあれほど働く人達が賛美されたのである。
その人達はほとんど肉体労働者が多かったのである。
その人たち貴族などいないみんな平民だから平民の言葉となった。
アメリカ英語がイギリス英語と違っているというとき言葉はただ観念ではなく現実の生活が反映されて作られていたからそうなる。
西部のような広大な世界を詩にする言葉にするということ自体がそこにはもう言葉で現せないものがあった。それはもし別な惑星に行って地球と全然違った景色を見れば地球の言葉で現せないと同じような感覚になっていた。
ホイットマンの詩にはそういうものを感じる、とても日本のようにイギリスのように言葉がこじんまりと収まらない世界なのである。
アメリカ人が実際は野蛮人だというときあの広大な西部の風土を生きてきたとなればそうなるたろう。だから同じ英語でもその風土や歴史的経過で違ったものになってしまったのである。
アメリカには神秘主義とか哲学とか芸術は生まれない、ただ実用主義でありプラグマテズマの思想になる。西部開拓では実際にそこで役立つものしか重んじられないし観念的なことは無用になるし観念的では生きられない風土である。
それゆえにここでは技術が機械力が制限されることなく応用されるようにもなった。
巨大な機械力が自然を破壊するようにはなるようには見えなかった。
それでもソローなどは鉄道を批判したりしていたから自然を侵害するものを感じていたのである。

日本では微に入り細に入り季語を作って来たような言葉とはあまりにも違っている。
そこにはむき出しの荒野があり岩肌が迫る、あんなところではとても俳句も作れなかったそれは多少北海道とにていた。北海道でもアメリカと比べると小さいなと思ってしまう。それは中国にも通じている。中国でもあれだけ広いから大雑把なものが建築でも生まれるとてつもない巨大な意識が生まれのはアメリカとにているのである。
漢字にはそういう風土を反映したものがある。日本でかなが生まれたのもやはり日本的風土が関係していたのである。とても中国やアメリカのような大雑把な世界から生まれ得ない繊細なものが日本文化なのである。

いづれにしろ言葉の問題は言葉だけて終わらない、言葉の背景には歴史もありその国の風土もありまた言葉には感情が入るから言葉だけでは通じあえないというのも人間である。話す言葉になると必ず感情が入る、感情が入りやすいのは方言なのである。
標準語だと何か冷たい感じになってしまう。方言だとそれは西東関係なくあたたかいものを感じる。あったけえというのとあたたかいという感じからして違っている。
感情を入れるのには方言がないとできないのである。
尊敬語が必要だというとき言葉も常に時代とともに変化している。
尊敬語でも今や目上の人に対する言葉てはない、まず目上の人だから尊敬するなど今はない、若い人にはもう老人というだけで何も尊敬したりしない、ただ若い人でも会社の上役とか権力を持つものにはへつらうから尊敬語をやむなく使うかもしれない。
でも尊敬語は今では相手を気づかうものに変化しているのだ。
尊敬語の方が相手を気づかうトーンがあり感情が入るから使う、目上だと相手を敬うとかはなくなっているのである。現代ではそもそも人を敬うなどなくなっているからだ。
「心に青雲」で尊敬語の必要性を説いているのもわかるがその人の言っていることは対話でもコミニケーションでも相手を気づかうということをしきり言っている。
つまり尊敬語は相手を気づかう言葉に実際は変化しているのである。

現代は明治維新後強力な中央集権体制ができて欧米列強に対抗しようとした。
太平洋戦争後もそうである。東京中心にして高度成長を図ってきたのである。
それで今は地方は衰退して疲弊している。
高度成長時代が終わり日本はまた江戸時代のような地域の時代にもどる。
現実は地域自体なくなるとか言っているが地方の再生が模索される時代で起きている。
原発事故などは何かアメリカ的巨大技術の弊害の結果である。
原発は事故が起きてもロシアや中国やアメリカなら百キロ圏内でも移住できる広さがある日本ではそんなことしたら国自体を放棄して滅亡するほかなくなる。
だかち原発は日本のような狭い国には合わないものだったのである。



タグ:尊敬語
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