2014年12月03日

冬紅葉 (写真俳句で写生俳句の追求がしやすくなった)



冬紅葉


(写真俳句で写生俳句の追求がしやすくなった)

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風唸り硝子に写る冬紅葉

寒木の十本ほどやともに立つ

その跡の埋もれけるかな鬼越館北風唸り名のみ残りぬ


写俳という言葉が生まれたように写真と俳句は一体化した。
写生は写真と最も相性が良かったからである。
ありのままを写すのが写真だからである。
玄関の楓の木は今年は秋の紅葉がなく冬紅葉になっていた。
季節的に今年は秋の紅葉ではなく冬紅葉になっていたのが多いかもしれない。
写生というとき言葉だけだとなかなかイメージできないことがある。
言葉では俳句は短いから現すのがむずかしくなっている。
この写真を見ればわかりやすい、イメージしやすい。
イメージしやすくなってまずい場合もあるがとても俳句は短くて現しきれない

この写真は玄関でありその玄関の曇り硝子に冬紅葉が写っている、そして今日は北風がうなっている。これだけを俳句では現せない、写真からでもここが玄関だと言わないとわからないことがある。
ともかくデジタルカメラになって一般の人も写真に興味をもつようになった人は多いだろう。
写真の魅力は大きい、写真はそもそも才能とありま関係ないからだ。
だから一般向きの趣味になりうる。
これがデジタルカメラでなかったら一般の人は金もかかるし写真の魅力を知らずに終わっていた。
俳句は写生の中に深いものを見いだす芸術なのは間違いない
ただそれを鑑賞するとなるとむずかしい、でも写真と俳句が一体となったとき
わかりやすくなる、鑑賞しやすくなるのである。

今日は北風が一日唸り冬らしくなった。
何か自分はここ七年間は家事とか介護とかに追われている。
今日は母が施設から帰ってきたからまた忙しくなる。
窓から蔦が入ってきたので直したり水道の蛇口が壊れたので新しいのと取り替えたとか
何か次々に仕事が生まれている。家は築40年で老朽化しているためもある。
地震で壊れたところもまだ直していない

ただ毎日自分で家の中をかたずけて自分好みの家にすることをつづけている
今ままでは間借りしていたと同じだが今度は自分なりの家にする
ある程度は手作りでてきる。
手作りの方が使いやすくなることがある。
本棚とか書斎とかは作られたものを買うより自分の使いやすいように作れるといい
本はかさばるからたてて並べるのではなく重ねたりするのも手である。
本は何か整理しにくい、でも本も中味があるからある程度そろえていないとものは書けない、本は今や全部読むのではなく要点だけ読むのである。

ともかく一軒の家をその物理的なものとして維持するのとまた精神的なものとしても維持するのが苦労なことを知った。家は修繕も必要だしまた家には犯罪者も侵入するとか城だと思った。城が敵にのっとられるように家も油断しているとのっとられてしまう恐怖を味わった。この家は気丈夫な姉がいて守っていたかそれが認知症になり死んで総崩れになり自分が引き継いだのである。
日立木にある鬼越館というのでも中世には多くの館がありそこが城だった。
その館も常に他者から攻められる恐怖があった。
守ることが容易ではなかった。それと同じように家も守ることか容易でないのだ。
弱さを見せると敵が入りこんでのっとられる恐怖である。
だから家には槍や刀を備えて守るくらいの気概ないとのっとられる。
田舎も安心できない時代となった。困窮している人かいればやはり田舎でも危険になる。自分はあまりにも人間の悪い面を知らずにいた。
30年くらい人と交わらずに生活していたからである。

タグ:写生俳句
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