2014年11月24日

精神的損害は金では賠償できない (原発事故でも犯罪でも他でも同じ)



精神的損害は金では賠償できない


(原発事故でも犯罪でも他でも同じ)



良く原発事故の精神的損害ということがこの辺では嫌というほど聞いた。
今もこの精神的損害のことで賠償金のことで原発自己周辺はもめている。
では精神的損害とは何なのか、何か抽象的である。
でも今回の事故ではこのことこそが一番の焦点となっていたのである。

30キロ圏で線引きされた母親が泣いて訴えていたことを書いた。
おじぃちゃんやおばあちゃんが畑で作った野菜を孫に食べさせることができない
米でもそうであり金で買うからその分金がかかりすぎる

このことが原発事故の精神的損害を一番象徴していた。
何も金もらって買えばいいじゃないかとなるが違っていた。
このことは実際に野菜を作っている人でないとわからないものがある。
例えれば母親が子供に愛情こめて作った弁当とか料理である。
それは単に買うというのではない、そこには母親の愛情がこもっているから違っている。それはおじぃちゃんおばあちゃんでも同じである。
苦労して作った野菜を孫においしいと食べてもらうことがうれしいのである。
そこにおじぃちゃんおばぁちゃんの愛情があり孫に伝えられてゆく
もしただ金あるからといって買って与えているだけならそうした愛情は伝わらない
それはまたその土地で故郷でとれたものを与えるということも違っている
そこに故郷からとれものを与え食するのだから故郷に愛着をもつ

だから避難した人で農家の人はそうした一番愛着が故郷にあるだろうと思った
ただ最近はみんな何でも買って生活しているからそうしたものが失われていた
お袋の味なども喪失していた。
だから原発事故で特別起きたということでもなかった。
ても一番の精神的損害がこういうところにあった
それは飯館村でも孫に飯館村で作った野菜を子供に孫に食べてくれと与えたか
親は捨てたということでも象徴されていたのである。
自分も介護していてそもそも食欲ない人に食べさせてているからうまいとは言わないことは淋しいとなる。
ただディサービスに出た料理はおいしいと珍しく言っていたのである。
自分で作って与えるということは与えられているだけとは違ったものとなる。

いづれにしろこうしたことが一番の精神的損害でありこれは金では補償できないことがわかった。家族か実際に離ればなれになっただけではない、心までばらばらになりつながりを失ってしまった。それは原発事故だけではない、その前から社会的にあった現象だったが事故でこの辺は極端化したものとして現れたのである。
つまり何でも金があるからといって愛情は伝わらない、そういうことは現代社会の問題として露骨に現れていた。

ともかく原発事故だけではない、そもそも精神的損害は金では償いないものがあった。
例えば犯罪で傷ついた人はいくら補償金をもらってもその心がいやされない
家族が殺されたりまた女性なら強姦されたとかまた様々な酷い犯罪の犠牲者は金で補償されてもいやされることがない、精神的損害というのは消えないしいやされないのである。確かに金で解決すものもあるが人を信用していたのに裏切られたということなどの精神的損害は消えることがない、こんなに信用して対処していたのに裏切られたことなどは人間不信になってしまう。そういうことを二回も経験したから人間を信用することができないものと痛切に思った。
ところがそうして相手を傷つけた人はさほど相手に与えた精神的損害を考えない
たいしたことじゃないと思っているのである。反省すらしない人だっていくらでもいる。罪を許せというときそこまでに至るには相当な時間と紆余曲折した感情の問題がわだかまり残る。家族を殺されたりした人はそんな簡単に許す気持ちにはなれないのである。
傷つけられ人はその心はいやされない、金でもいやされない、金で解決したとしてもそれでいやされることはない、そのことは原発事故にも通じていたのである。

ただ原発事故の補償金問題は具体的に補償されるのは金しかないから訴える。
でもまた金だけでいやされない、償いないものが残る。
それを象徴していたのがおじぃちゃんやおばぁちゃんが作った野菜を孫に食べてもらえないということだったのである。
その傷が深く大きく長引くし金でも償いないものがあったのだ。
それをもたらしたものは何か、そこまで考えるのは被害者しかないだろう。
では加害者は一体誰なのかとなると戦争の時と同じくむずかしくなる
地元の人も恩恵受けて原発を積極的に受け入れたじゃないかとも言われる。
漁師は漁業権を楯に多額の補償金をもらったではないか、今ももらっているじゃないかとか言われる
おじぃちゃんやおばぁちゃんの世代が原発を誘致したのだから責任があるともなる

いづれにしろ原発事故周辺は内部でも亀裂が生じてばらばらになり家族もばらばらになりつながりを失った。そういう精神的損害は簡単には修復できない、それはいつまでも残ってしまう。ただ具体的に金しかないから金をくれとなる。
でもそうなるとまた外からはお前たちにも責任がありそんなに国の税金にたかるなとか言われるのである。
とにかく別に限発事故でなくても普通の生活で人間は深刻な精神的損害を受ける。
犯罪は日常的に起きているしそうして精神的損害を受けたからと償えることは少ないだろう。加害者はそんな精神的損害まで深く考えなのである。
東電の人も考えない、だから東電の人も原発事故周辺に住んでみて同じ経験するばいいとなる。その痛みを共有すればわかるとなる。
すべてが金では解決しないのである。かえって金で解決しようととすると傷が深くなるということも犯罪ではある。
ただ鹿島区などは補償金が少なかった。原町区が25カ月分だとして鹿島区は一人十万で7ケ月分しかもらっていない、その差は大きかった。
だから客観的に見れるという立場にもあった。お前らも多額な補償金もらっているじゃないかとなるとあまり言えなくなる。小高や原町はそうなっている。
確かに不満を言っているが鹿島区とは違うし他の相馬市でも不満が大きいのである。
鹿島区だと客観的になり発言しやすい立場にあったともなる
自分もそういうことで発言しやすいから正直な心で発言してきたのである。


タグ:精神的損害
posted by 老鶯 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/105891765
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック