2014年11月17日

残る虫 (介護とか医療にこんなに労力費やす社会の疑問)




残る虫


(介護とか医療にこんなに労力費やす社会の疑問)


前畑に老婆あわれや時雨かな

道に会う老人多し枯芒

ここに鳴く残る虫を聞き里暮れぬ


10人歩いていて6人くらいは60以上かもしれない、若い人は二割りも会えばいい方だろう高齢化社会は老人にエネルギーが費やされる時代である。
それか個々人の家で終わっていればいいがディサービスでも介護保険で受ければ社会の負担になる。
ただ田舎では何か介護関係と医療関係の仕事が多い。
介護はこれは長いし大きな社会問題である。介護社会とすらなる。
その負担が家々にととどまっていればいいがこれが社会負担になると十兆円とかなんかそれだけでも途方もない労力とエネルギーが金も費やされる。

そういう社会とは果たして活力ある社会なのかいい社会なのかわからない
介護によって社会自体衰退してゆくということもありうる
それだけの労力を費やすとなるとそうなる
ただ介護も仕事であり仕事を与えているという面はある。
それにしても社会全体が介護や医療に費やす労力も金も莫大なものとなり負担となる。
そしてそもそもその意義が見いだされるのかという疑問もでてくる。
家族だったら祖父母でも親しいことがあり家に尽くしたとかで世話することがある。
なんらか家族内で介護する意味は意義はでてくる。

自分の場合は特別世話になったから恩返しとしてやっている。
しかし他の人はそういう意義を感じられるのかとなる。
社会自体でこれだけ多くの人を介護する労力と金でもその負担が天文学的になる。
それかついには社会まで疲弊させてしまうから若い人の大きな不満になる。
確かに何か死んでゆく老人にそんなに金を使い介護して90歳百歳まで生かしているというのも社会にとっていいものかどうかわからない。
だからといってすぐ安楽死だとか60代でも始末しろとか極端になるのは疑問である。
75くらいまではそんなこと言えない時代なのが高齢化社会である。
ただ近くのディサービスの大きなホテルような施設に来るのは90以上の人が多いのである90はもう珍しくもない普通である。
でも90あたりからどうしても介護状態になってゆく人が多いのである

90となるとまさに残る虫である。でもそんな年になると誰も残る虫の音に耳を傾ける人もいなくなるということもある。
あまりにも長生きすることの問題は現役で働いてから老後が長すぎる問題がある。
自分の姉も公務員として働いているときは良かったがやめてからなにもしていない、
自分が優秀だったといっても退職してから何の社会の用にもたたないし家族でも料理もしなかったから無用の人となってしまった。
意外とそのことか怖いことだった。つまり認知症になることの大きな要因だったともなる人間は退職したりすると何も用がない人になりやすい、社会での役割がなくなる。
そして家族でも役割がなくなる場合がある。


するとその人は用ない人となり社会から忘れられるてしまうのである。
社会から忘れられるということは存在しなくなることでもある。
それが社会で知られるときは認知症とか病気とか困ったことになったとき社会のやっかいものとしてめんどうかけるものとして知られる。
そういう老人が膨大なものとなってゆく。
何か今は社会か変化が激しいから経験豊かな老人の出番がなくなっている。
ほんの一部の人しか社会では老人は必要としない
ただの社会のお荷物になりやすいのである。
専門的な技術職は時給7万とかもあるというからそういう技術をもっていれば別に退職しても社会的に有用なものとして迎えれられるのである。
ほとんどの人はそうならないから問題なのである。

いづれにしろ介護とか医療とかにこれだけ労力でも金でも費やしている高齢化社会は何か普通ではない、だから社会自体か介護医療や障害者の世話で衰退してしまうということもある。近くで障害者一級の人が69歳で死んだ。その人は二人も介護していた。
だから一人死んで楽になったなとかなってしまう。
多重介護ほど苦しいことはない、一時自分もそうなったからどうなってしまうのだろうとものすごく不安だった。でも一人が死んで助かったのである。
その時自分も病気になっていたのだから辛かったのである。
タグ:介護社会
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