2014年11月10日

秋葉神社の墓 (ここが墓地として捨てられたのは明治か大正?)


秋葉神社の墓


(ここが墓地として捨てられたのは明治か大正?)

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明治に森忠太郎という人が寄進している。
その森家の子孫はまだ生きている


ここに天明の墓があったことは意外だった。

天明の飢饉があり天明は特に記憶されるべき時代だった。

ただその時この辺がどういう状態にあったのかどんな暮らしをしていたのか想像つかないのである。

ここの墓は明治までは確実にあり大正時代頃無縁化した。

ここに接して森という姓の家があり広い庭があり今住んでいる。

明治時代に二十三夜塔を寄進したのは「森忠太郎」でありこれは森家の先祖である。



ここは天明から文化から明治まで継続して墓としてあった。

この墓はこの回りに住んでいた人たちの墓である。

「法印」とかあり祈祷する山伏とかも住んでいた。

これはどこにでも住んでいた。病気になれば祈るほかないからである。

加持祈祷が商売だったのである。



そのような中で天明7年5月に大坂で発生した打ちこわしはまたたく間に全国各地の都市へと広まり、江戸時代最高の打ちこわし件数を記録するに至る。特に江戸での打ちこわしは町奉行による混乱収拾が不可能な状態に陥る激しいものであった。



離農した農民たちの多くは、江戸を始めとする都市に流入した。主に生活苦によって農村から都市へと流入した農民たちは、後述する都市における階層分化によって没落した商工業者などとともに都市での貧民層を形成するようになった。天明7年5月の江戸打ちこわしでも、明和から天明期にかけて江戸近郊の関東農村から離村し、江戸に流入した人たちが打ちこわし勢に参加していたことが確認され、当時の関東地方の農村では地主から小作農までの階層分化が進み、没落した農民層が離村して江戸に流入していったことが想定される


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%98%8E%E3%81%AE%E6%89%93%E3%81%A1%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%97



天明時代は飢饉の時代だから全国的に影響していた。相馬藩では3三分の一に人口が減って

越中などから移民を呼んで立ち直った。ただ全国的に飢饉になり村から離れる人が多かった。

それで都会に集まったとういのもわかる。ここだけではない人口が流動化したのである。

原発事故で町村が消滅する危機になったように時代の変化で人口が流動化するのである。

それが社会変革につながる。

これは外国でも同じらしい、何か天候の異変などで凶作になったりして大移動があった。

それがゲルマン人の大移動とか有名だけど世界的に人口は移動している。

人間は普通は移動したくない、慣れ親しんだ所にいたいのである。

でも移動が強いられる。満州に移動したのは農業社会では土地が得たいからそうなった。

実はそうした大規模なの移動が戦争になっているのだ。



こうした神社とか寺は昔は一つの共同体のシンボルとしてあり実際に機能していた。

だから二十三夜でも講がありおんな集まっていた。

つまりこうした神社とか社が無数にあるのはただあるのではない

生活の中で活きていたとき意味があった。

だから村々でも町でも昔は狭い地域で生活していたからそうなる。

車もないし遠くへ行くことはない生活である。

毎日隣近所とか顔合わせて狭い地域で暮らしていたのである。

身の回りのことでも近くてすましていたのである。

第一今のように原町や相馬市までだって行くことはまれだったろう。

確かに汽車が通じても汽車賃が高くて歩いて行ったとか言う人が多いのである。

汽車は客車というより最初は貨物輸送が主だったのだろう。

それで原町機関区が木材や石材の積み出しのために設置された。

平機関区は石炭を東京に運ぶために設置されたのである。



神社は子供の遊び場にもなっていた。

自分の子供のときは子供が多いから毎日群がって遊んでいたのである。

そのころはまだ近隣中心の生活だったのである。買い物でもそうである。

魚屋があり駄菓子屋があり豆腐屋があり酒屋があり職人の大工や指し物師がいたり

近くにあるもので用をたししていた。

地球の裏側から物が入ってくる時代とはあまりにも違っていたのである。

米だって地元でとれたものであり野菜だってそうである。

他の県から九州とか来るはずがなかった。

バナナさえ戦後十年くらいは売っていない、バナナの叩き売りというのは秋市とか市が立ったとき売っていたのである。店では売っていない。

自分の父親が病気になったときバナナを食べさせるために仙台まで姉が行って買ってきたバナナがそれだけ貴重なものだったのである。



何かわからないが中学辺りから急速に高度成長化したみたいなのだ。

東京オリンピックのときはもう高度成長へうなぎのぼりに経済は発展したのである。

高度成長といっても実際は二十年くらいだったのかもしれない。

あのころはみんな景気が良かったから今のような時代とは違っていた。

企業戦士とか言われたのもそれだけ日本経済か世界へ進出していた時代だったからであるそれで金の卵として中卒で東京に労働力として集められたのである。

その時クラスで大学に行ったの4,5人だった。高校に行ったのも半分にも満たないくらいだったのである。文系の大学を今廃止しろというのもわかる。大学は遊びの場でしかなかったのである。



今国に余裕がなくなったので予算が回せない、そしてグローバルで競争する人材を育成しなければならないから文系はいらないという議論になっている。

文系は自分がしてきたようにほとんど独学でできる。

今ならなおさらそうである。大学に行かなくてもそういう環境はネットでも通販でもそうだし整ってきたからである。

第一専門的な本を買うのにこの辺では売っていないから仙台まで行くほかなかったのである。今はボタンを押せば次の日に本が届いているのである。

ただ自分の行った大学は東京でもすでに大衆化した大学でありマンモス大学だった。

だから3000人とか入れる講堂で講義していたからみんなやる気がなくなっていた。

それが学生運動が起きた原因でもあった。

一方は汚い工場で油まみれになり狭い宿舎で中卒は働いていたのである。

その時はどこも人手不足であり小さな工場でも店でも繁盛していたのである。



いづれにしろ神社は江戸時代は近隣の生活の要の場所としてあった。

今は全く機能しないのは社会が変わりすぎたのである。

隣の人間が何をしているのか田舎でもわからないというときそうである。

まず都会だったらますますわからない、それだけ無数の職業が生まれ分化してしまったのである。

だから農民が八割という時代が戦前でもそうであり長く歴史的にはつづいた。

そういうときは農民的感情で国も一つになれていたのである。

そういうものが高度成長時代からは特に破壊されて感情的にも人間はバラバラにされていたのである。



現実に農業では食えないとか跡継ぎがいないとか漁業ではやっていけない、林業は外材で衰退したとかこれまでの産業が衰退産業となり原発が誘致されたのである。

そうした時代の変化で原発事故が起きたとなる。

現代の繁栄は何か無理した虚飾の繁栄という側面があった。

生活の基本となる第一次産業が衰退して低くみられたことが原発事故の要因にもなっていたのである。

ただ電気がいらないとかではない、危険を犯してまで経済成長が必要なのかどうかが問われたのである。

今の生活は本当に最低の人でも昔から比べた最高の生活なのである。

貧乏でも刺身を食べない人はいない、自分の父親はサシミが食べられるようになったが

食べたくないと言って死んだいった。



だからつくづく人間は昔の事を家族でも近隣でも知る必要がある。

これにはこんな意味があったのかとこんな貧しい生活をしていたのかとか

こんなことで苦労していたのかとか家族でもその家族なりの苦労があた語られる。

そういうことが死んだ後にそういうことだったのかとわかる。

生きているうちはなかなかわからないのである。

やはり祖父母とか親の代になるとまだ生々しいものとして記憶されているかそうなる。

でも死んでから何かさらにその語った事生きた事の意味が深く感じられるのである。

これは大きな国の歴史でもそうである。



歴史というと何かむずかしく考えるけど実際は祖父母とか親のことを知るというこにはじまっている。

そういう身近なものさえ何なのか死んでからかなりの年数たって親のありがたみがわかったとかなる。

ただ今は親孝行したいとは親がいないとはならない。必ず親がいるし親孝行をさせられる時代なのである。必ず介護させられる。

だから今度は子供を粗末にすると介護のとき困るとなる。

戦前までは子供は労働力であり親に使われるものだった。

それが逆になったのだけど今度は逆に必ず親孝行は強いられる。介護問題が必ず起きてくる。それも時代の変化だった。








タグ:天明の神社
posted by 老鶯 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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