2014年11月10日

時間軸で形成される文化の理解はむずかしい (歴史も時間軸で長い時間で形成されるから理解しにくい)



時間軸で形成される文化の理解はむずかしい


(歴史も時間軸で長い時間で形成されるから理解しにくい)


●空間と距離の制限はなくなった

現代は空間的には地球大に広がっている。飛行機でどこにでも行ける。地球の裏側からも物が食料でも入ってくる時代である。空間の障壁はなくなっている。
江戸時代あたりまでは空間の障壁は大きかった。遠くとの交流はむずかしいから自給自足の村でまかなって外部に頼ることはないし頼れなかったのである。
鉄道ができたとき日本国内で空間をさえぎる障壁がとりはらわれて交流するようになった日本人として意識されたのは明治維新で鉄道ができたからたというのもある。
物流でも人の交流も一気に何百倍となったかもしれない。

現代は交通の便が格段によくなったから空間の障壁、距離の障害はなくなっている。
通販は本当に便利だと思う。
なぜなら何かを買う場合、店で選ぶ方がめんどうだし不便なのである。
例えば今最新のデジカメはなにかとか自分に適した今必要なものを手に入れるとき何でも通販でキーワードで探す方がぴったりなものに出会う。
そししてボタン一つ押せば次の日は届いているのである。
その人によって必要なものは多様化しているから余計にそうなのである。
田舎だと何か目立ったものしかみんなが使うものしか電器店ですら置いていない。
大型のテレビとか何か決まりきったものしか置いていない。
でも通販だった中古品から何でもあるから驚く
自分が今必要なものが手に入るからいいのである。
店でも隣近所に店があったがスーパーになり今度はイオンなどの郊外のショッピンクセンターになりと拡大して今度は通販になっていくというのも時代である。

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情報というのは常に今必要とするものがある。
困ったとき近くに聞く人がいない、相談する人もいない
それはもうこんな複雑な社会では答えられる人もいないのである。
生活保護が何だろうとなるとこれもめんとうだけどそうしたインターネットで情報は深く詳しい、だから何とか対応できた。
現代はもう複雑だから経験ある人年寄りでも相談して無駄であり年寄りの価値はなくなったのである。
それでも会社勤めして専門性のある技術者は自給で7万のところもあるというから驚く。
そういう専門性のあるものはそれだけの価値かあるのが現代でもある。
部長とか課長とかの経験は役に立たない、専門性があれば退職して金を稼げる時代である何かスキルをもつことが現代では要求されているのである。
ただ年取って何の価値もないのである。

●文化は一様化できないから理解するのがむずかしい

ただここで問題なのは距離の壁はなくなっても文化の壁はなくなるない
文化とは何かというといろいろ多様であるが例えば言葉の障壁は簡単に取り払われない、英語を共通語にしようとすることがあるが以前として言葉の壁は大きい。
その国の言葉がなくなば文化も喪失するから簡単に英語に変えることはできない
だからポリネシアとか南洋の島々では多くの言葉が違っていた。
それは方言ともにていた。そうなると意思疎通もむずかしくなる。
その言葉がそんなに違っていたのはやはり土地土地で違った文化が育まれたからだとなる言葉もその土地から生まれるから違っているのである。
日本では四季が豊かであり俳句が生まれたのはまさにそういう風土によって育まれた。
日本語でも各国の言葉でもその土地から生まれるている文化だからその障壁は大きい。
文化はそのように距離を空間を克服しても相違が生まれる。
その相違の故に文化は価値がある。
明治維新後は鉄道などで標準語も普及したのはいいが江戸時代のように地方地方で育んだ文化は衰退したのである。
みんなコカコーラとかハンバーグを食べていてはつまらないのである。

つくづく文化というのはなぜ理解しにくいのか、それはヨーロッパの歴史でもローマ時代にさかのぼれば2000年とかの歴史がある。するとそこまでさかのぼるとなるとちょっと飛行機で行けるから理解できるかとなるとできない。ローマからキリスト教時代の中世とかも長いし城のあった歴史も長いからなかなか理解しにくくなる。
それは日本だってそうである。現代ある物にばかり目を奪われるから過去を歴史を知ることは容易ではない。今も見ればビルかいたるところにあり工場もあり何かどこも同じじゃないかともなる。でも歴史をさかのぼる城でも何かそうした古くからあるものが理解しにくいのである。それが文化の特徴なのである。

どうも文化というのは空間とか距離の制限がなくなると破壊されやすいのである。
その土地土地がどうして成り立ったのかそういう長い間に作られてきたものが無視されやすい。
原発事故などもそういう地域の文化というか歴史が無視されて建てられた。
科学は何か数学と同じであり世界共通になりやすい、一つの世界共通の言葉が科学でありその基本に数学がある。何でも数字に還元すれば共通になるからだ。
ただその土地土地の風土はみんな違っている。
たから放射能汚染されたとき、風が影響して飯館村があんな大きな住めなくなるほどの被害を受けたのである。この辺では春になると東風が吹くからである。
それが運が悪かったとなる。イワキ地方などは本当に低かった。それも風が関係していたのである。それこそ風が違うというとき風土が違うとなって影響したのである。

●一極集中の情報発信は危険だった

現代は空間とか距離の制限がなくなったとき、大きな問題として地域地域の歴史、時間で積み上げられた文化が無視される。
情報でも経済でも教育でも明治以降は東京一極集中になった。
その弊害は今になると大きくなっているのだ。東京に労働力でも何でも集まり東京ばかりから何でも発信されるということが大きな問題になる。
津波でもNHK一局が大きな力を持つことは危険なのである。
津波の放送でも最初に3メートルが来るということを放送したときこれは気象庁でそうしたにしてもそのことが多数の人命まで奪ったと今になると批判される。
テレビとかマスコミが一局集中だからそうなってしまう。六局あってもそうである。
そうした六局ばかりのそしてNHKばかりに全国民が注視していることは危険になる。
NHKでも気象庁でも的確な判断ができなかった。
地震が起きてから3分ではマグニチュードは判定できないと気象庁の人が言っていた。
マグニチュード8ではなく9だったのだから今までにないことだから判定できなかった。
するとかえって個々人の体感の方が正しい判断をできたとなるが
マスコミの判断にNHKの放送に一局に判断をゆだねていたから3メートルからたいしたことがないとか判断して逃げ後れた犠牲者が多かったとなるといかに緊急のとき情報が大事かわかる。

例えば2ちゅんねるだとかなるといいかけぜんにしろ

「3メートルの津波が来るとNHKで放送した」
「3メートルじゃたいしたことがないよ」
「この地震で3メートルだってもっと大きなものが来るよ」
「10メートルくらい来るかもしれんぞ」
「おい、脅かすなよ」
「ともかく早く逃げた方かいいな」

とか必ずなる。何かあればマスコミの言うことを信用しなくなっているのがネットになった。それも全部は正しくないのにしろマスコミの一方的情報を信用すると危険なのであるこういう対話があるだけで危険だと思い逃げる人も出てくるのである
現実に駅があるところに津波が来たのを見てこれが3メートルかと疑問に思った人がいたがその時すでに時遅しになっていたのである。
これも自分の目で見て自分の判断力の方が正しかったとなる。
だからち一局集中のマスコミは影響力が大きすぎて危険なのである。
報道が一方的になっているからだ。
それは何でも東京一極集中化しているのと同じなのである。
その土地土地からの多様な見方ができないことが危険なのである。
結局今回の津波で原発事故でもマスコミと科学への盲信が大きな被害を生んだ原因でもあったのだ。





タグ:空間と時間
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