2014年11月06日

気になる江(え)の地名 (蝦夷(エミシ)もエである)



気になる江(え)の地名


(蝦夷(エミシ)もエである)


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双葉


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えねいは古い言葉に感じる

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原町

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鹿島

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江名(えな)は恵那(えな)と同じである。

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江見(えみ)はエミシなのである。



海道では「江別」「江差」「江刺」「枝幸」「恵庭」「襟裳」「遠軽」「遠別」などをあげることができるし、関東では「江戸」「恵比寿」「江ノ島」「荏原」「海老野」、中部地方では「恵那」、滋賀県では「愛知川」、大阪では「江口」「江坂」「餌差」「海老江」「恵我の里」、中国地方では「江田島」、九州では「海老野」をあげることができる。
「えびす」の語源は、「エミシ(蝦夷)」が「エミス」になり、「エビス」になったとされている。また、「えびす」は蛭子の神さまでもあり、水に関わりがあるから、兵庫県の西宮戎神社や大阪の今宮戎神社のように海に近いところにあるのが多いのである。

エ・エトコ(頭,水源,山頂)
エサシ(山の頭を浜につけているもの,岬)
十三湖の小湾入のある「前潟」のことで,ie (尖った)rum (矢の根)ma (澗)J (尖った矢の根のような澗)
津軽にはほかに恵神崎(えがみざき)と
いう岬もあり,これは西津軽郡の岩崎村の岬である(図3)。この岬角名の語頭の「恵」
の部分にエンルムの「エ」が残存しているかもしれず,あるいは北海道の恵山(えさ
ん)のようにエサン(頭が浜に出ている岬)かも知れない

アイヌ語地名の痕跡化
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81%8F%E5%9C%B0%E5%90%8D'

北海道にはアイヌ語で地名があったが和人が入ってきて漢字をあてたからややこしくなった。江(え)とつく地名が北海道に多いのである。このエが何なのか、アイヌ語ではエは突き出たという意味である。これは何か統計的にみて地形ともあっているだろう。
地名は地形的なものから名付けられるのが多いからである。
突き出た所ということでありその基は頭をエと言っていた。
そこから派生して突き出たものがエとなった。枝(えだ)などもエがつくからわかる。
ただエに江をあてたときわかりにくくなったのである。
江というときどうしても海などをイメージするからである。
エは江とは限らない、なぜなら山の中にも江があるからだ。
だから突き出た所として解釈するのが無難である。
それは海に面して突き出たところが岬となり高台ともなり平地に突き出ていたところもエになるのである。だから山の中にあっても不思議ではない。
ただその時海のように湖のように平地のような所に突き出た所として名付けられた。


もう一つはエとは蝦夷(エミシ)のエである。蝦夷族、エ族の村になる。
現実に江見とあればエミシのエミだからまさにエミシの村だとなる。
自分が海老村が蝦夷の村だと解釈したときそうである。
海老はエヒとして呼んでいたしエヒと書かれているのである。
だから海老とは関係ない、突き出たところ、高台というのがふさわしい。
地形的なものとして名付けられた。
つまりエミシでも最初の原住民は平らな所には住んでいない、平の所の突き出たところに住んでいた。なぜなら平らな所は日本では湿地帯になっていたからである。
だから奈良盆地に奈良湖があったとか他にも九州にも内陸部に大きな湖があったがなくなったとかインターネットで考察しているサイトがある。
福島市ももともと湖があったとか会津でもそうである。
山の中でも盆地は平らなところは湖や湿地帯になっている所が日本では多かったのであるだから住みやすい地はまさに平らなところではない、平らなところに面した突き出たところだった。


今回の津波ではそういう突き出たところは高台となって津浪被害をまねがれたのである。
だから地図で示したように江(エ)とつく地名はこの辺では津波をねがれ所でありまたは海だった所であった。江とは江と必ずしもならないということを見ていないと誤解しやすいのである。地名は漢字から見るから誤解しやすいのである。
もともとはエという音であった。それもイとまぎらわしくなる。
ただ江戸(エド)でもそうだが地名の起こりは地形に由来していることが多いのである。
江戸も海とか平地の湿地帯に面して突き出たところ高台として名前がつけられたのだろう
ではエがアイヌ語だとする日本全体にエの地名があるとしてアイヌが縄文人でありその言葉が受け継がれたのかとなる。アイヌ語から日本の地名を解明することはこれまでされてきたがこれも今では否定されることが多い。
とてもアイヌ語では日本の地名は解きあかせないことがわかった。
なぜならこのエ一つにしてもアイヌ語だったら重大なことになる。
日本全国にアイヌが住んでいて日本の原住民だったとなるからである。
縄文人とアイヌ人とは一体だったとなってしまうからである。

ともかく地名はいろいろに解釈されるから誤解が多いのである。地名には法則性がないということも致命的なのである。科学は法則性を追求してきたから信頼される。
文系的なものは法則性がないから信頼されない、科学的に解明できないのである。
統計的に割り出すと何か信憑性が出てくるのはそのためである。
世界史で四大文明が生まれたのは大河の辺りだったというのも一つの法則性なのである。ただ地理は複雑だから法則的には解明できない、地図をいくらみても地理はわからないのである。地理から実感できないのである。
ただ地図をたどるとなんかエとつく地名が連続している。それは女場(おなは)というのも実は沖縄の小那覇ー那覇から連続していることがわかった。地名は孤立していない、連続性があることは確かなのである。それは沖縄から連続してある。
北海道にはアイヌ語があったとしてもエとつく地名が密集していて日本列島に連続していることは確かなのである。

恵那(えな)などもありそこに自転車で旅してテントを張って一夜泊まった。

旅路来て一夜泊まりぬ恵那に月

エナという名が心に記憶されていた。それは中山道を出た所だったのである。何か平地に出るような場所だったのである。中山道は山の中だが恵那に出ると平地にでる。
するとそこも平地があって突き出た高台という地形だったのかもしれない。

南相馬市鹿島区の海老村は蝦夷ーエミシが住んだ地域だった
(神社の位置が歴史を語る)
http://musubu2.sblo.jp/article/101634504.html


 
posted by 老鶯 at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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