2014年11月06日

冬に入る(長くつづくもの介護、復興工事など)


冬に入る(長くつづくもの介護、復興工事など)

冬薊工事のなおも続くかな

近くなれ社にありぬ天明の碑を知らじかも冬に入るかな
秋よりや山茶花長く咲きつづき冬に入るかな介護はつづく
一本の松にこそよれ変わらじも我がよりにつつ冬に入るかな
三カ月後白菜育ち食べられるとともに見守る女そ親しも

この辺の工事は長くつづく、除染などもいつまでしたら終わるのかとなる。毎日百人くらい集まり除染の仕事にでかけている。金沢の坂から原町に行く所もプレハブが建ち新しい家もたったから閑静な所ではなくなった。
あそこにある一本松は目立たないが変わらないものとしてあった。
この辺はあまりにもあらゆるものが変わりすぎたのである。
だから変わらないものがあるとほっとするのである。
老人になると変わりすぎる社会は苦手になる。
それから機械の操作か苦手になる。認知症になるとテレビのリモコンのボタン一つおせなくなった。

今の時代はまず機械が操作できなかったら生きてゆくことすらできない。
だから老人にとっては生きにくいのである。
直接人と人の関係で社会が成り立ってないない、広域社会グローバル社会になると実際は直接関係しなくても物だけは地球の裏側からも入ってくる時代である。
そういう社会がいいのかどうかわからない、ただ社会がそうなればその社会に適応しなければ生きていけないのである。だから機械時代になれば機械を操作できなければ生きていけないのである。車の運転ができないと仕事もできないと同じである。

ただいつも行く道ち一本の松があるというときそれは人間に見ているのである。
松は何か人間に最も近いのである。それが変わらずあるということが安心につながる。
それは信頼する松でもある。でも田舎でもこのように変化が激しいともう近くでも人も変わるし環境も変わると何を信頼していいかわからなくなる。
実際近くの人ても信頼できない時代である。
畑に白菜を植えてそれが育つのに三カ月かかるというとき長いと思った。
それをともに見守っているというのは農民の心情であり共感する心があると思った。
もともと80パーセントが農民だったとき、戦前だって日本はずっと農民社会だったのである。
だから何か共通の心情とかが育まれていた。都会なるとその頃でもやはりそうした共通感覚は消える。江戸時代のいい面はそうした共通感覚の上に社会が築かれていたからであるだから人間でも一体感が自然と養われていたのである。
工業化とかグローバル化になるとそうした一体感は喪失した。
農業社会の一番の関心は天候のことでありそれが景気に作用する
株で景気が左右する現代は何か異常である。
とても紙幣をすってばらまいて景気が良くなるはずがない。
そういう社会はあるとき、急激に崩壊する恐怖がある。
つまり紙幣がただの紙になってしまうのである。
だから資本主義はもう限界にきていて崩壊するということが言われる。
こんな社会はもう維持できない、それはむずかしい学問ではなくて何か人間の感である。そういってもやはり自分も株をもっているから矛盾しているのである。
ただ自分は株は売ったり買ったりするのがめんどうだからそういうことはしてしいない。銀行に頼んでいるだけだとなる。

今年の天候は変である。庭の楓の木がまだ紅葉していない、冬になればすでに冬紅葉である。山茶花も秋から咲いていたし何かそうした温暖化の影響がある。
それにしても介護は長くつづくなと思った。
現代は本当に介護時代である。普通こんなに介護がつづく時代はなかった。
早めに死んでいたろう。介護は最低でも3年とか5年とかさらに長くなる。
これもまた現代の高齢化社会の負担なのである。
金だってかかるし家族の負担が大きくて長いのである。
だから60代は親の介護でも金がかかるからその用意も必要だとなる。
ともかく今日は寒くて冬に本格的に入ったと感じた。



 
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