2014年11月04日

パソコンの操作で理解した抽象画論 モネは光の分析、セザンヌは立体性の追求、ピカソに発展


パソコンの操作で理解した抽象画論

モネは光の分析、セザンヌは立体性の追求、ピカソに発展

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雪舟

この絵の抽象化
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ボスポラス海峡

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これはモネ的になる


対象の再現性を離脱しようとするタッチを対象の明確な構成要素、「円錐、球、円柱」に向わせました。セザンヌによって、絵画は強固な形態を自ら創り出そうとするあらたな方向性を与えられました

ここのサイトでモネとセザンヌを対称的にとらえているから興味深い。モネはソフトな色合いで特徴づけられる。プリズムのように光をとらえて色とした。
絵画は色と構築する立体性がある。構築する立体性は建築に通じている。
絵画には多様な色と建築性から成り立つ、西洋絵画はレオナルドダビンチから立体性を遠近法で現した。もともと西洋ではローマ時代から建築に優れていた。
だから立体感覚に富んでいた。そもそもそれはエジプトのピラミッドからはじまっていた山を抽象化して立体化するとピラミッドになるからである。
ピラミッドは人工的山なのである。砂漠には山がないからピラミッドを山として精神の安定を計り宗教的礼拝物ともなったのである。

自然を鑑賞すればそれは多様であるが骨格として岩があり岩は土台であり建築的である。岩から土が生まれたというのも地球はもともと岩で造られていて岩が砕けて土となったり砂となったのである。
地球はさらに岩盤の奥に中核は最も固い鉄できているのである。
セザンヌの絵は重厚であり岩的であり建築的なのである。
モネやゴッホの印象派は色に分析したのである。
何か肖像画もセザンヌは岩的顔貌になっている。
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セザンヌ


それから抽象画はピカソによって開花した。自然でも世界でもこれは具象としてあっても抽象画ともなる。具象→抽象ということがあって文明を作りだした。
なぜなら文字はまさに万物の抽象化であるからだ。
漢字は象形文字でありエジプトのヒエログリフもそうである。
つまりそれは万物を抽象化したものなのである。

ピカソにいたって抽象画は一つの時代をきづいた。それは時代を反映していたのである。現代文明は物質文明となり具象的人間の存在感が失われた時代である。
大衆化現象は人間は人間ではなく抽象的数としてしか表現できない世界となっていた。
キュービズム運動もそうした時代が生んだものなのである。
モネの絵からは確かに何が重い存在感が感じられないのは立体的建築性がないからであるセザンヌの肖像画は額が岩のようにも見えるのである。
それぞれの個性がフランスで開花したとなる。

ふりかえって日本の絵画史を見ると何か尾形光琳でも絵画でも一つの形式にのっとって描いている。だから狩野派だとか一つの派が形成される。それは一つの様式美を作り出したから弟子もそれに従ったのでありその様式からなかなかぬけだせなくなる。
そして何か日本の絵画も抽象的な要素が大きいことに気づいた。
それは写生ではなく木を描くにしても時代の様式がありそれにのっとって描いているから何か幾何学的に見えたのである。
写生の絵は円山応挙にはじまって蕪村が絵画的俳句を作りそれを継承したのが正岡子規の写生俳句だったのである。
この雪舟の絵も何か抽象的であり本物の岩を写生しているわけではない、水墨画でもそうである。写生ではなく心が意図して作り出したものである。
円山応挙が虫などを図鑑のように写生したのとは違っていたのである。
だから岩が幾何学的に見えたから抽象画になるなと思いパソコンで加工してみた。

自分には何ら絵の才能がないのだけど抽象画はパソコンのソフトの作用でできるから絵が描けなくても作れる不思議をずっと体験して出してきたのである。
絵画は色と幾何学的なものに分解できる。太陽だったら円ではあり山だったら三角でありとかになる。雪舟の絵を幾何学的に分解したのが自分の抽象画である。
ただこれが岩に見えるのかとなる。抽象画はやはりこれが岩だというとき岩として見ないと何か鑑賞できない、何かわからないのが多いからである。
岩には石には充溢する充実した安定がある。岩石は燃えていると上野上野霄里(しょうり)氏は表現した。それはやはり個性によって岩の見方も違ってくるのである。
絵画をどうみるかはその人の感性によるし自然でもそうである。多様な見方があって自然の見方も教えられるのである。
パソコンは抽象画には一番向いている道具だった。
自分もパソコンで遊びで抽象画を作っていたら美術の理解が絵の理解が深まったのであるまず自分で絵を描けるなど思っても見なかったからである。
パソコンの色は独特でありこれは絵の具では現せないもであり電気の光で映えるものなのである。

これが芸術てのかという疑問もまたでてくる。芸術はアート(技術)のことだから技術の発展によって新しい芸術が生まれたのである。
それは電気と深く関係していたのである。
モネの色は絵の具の色でありハソコンの色は電気の色なのである。
美がわかるのはフランスと日本しかないというときそうなのかもしれない。
日本は建築的には劣るが美術的には優れたものを残していたのかもしれない。
本当は日本は山が多いから建築的でもある。たたそういう建築的文化は劣っていた。
エジプトのように平面と何もない砂漠の方がピラミッドを生み出したように建築が発達した。それはとギリシャに受け継がれたのである。




タグ:抽象画論
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