2014年11月02日

天高し (自転車もバイクも車も老いるとのりこなせなくなる)



天高し

(自転車もバイクも車も老いるとのりこなせなくなる)



天高く高峰望む山の上

天高く登頂なりて歓喜の声

天高く頂上究めむ意気揚がる


山の魅力は大きい、いつも高い山を見ていれば心に反映される。
この辺ではその高い山がないからせのたりないのである。
ただ海があるから朝は気持ちかいい、
海は心を広くして山を心を高くする
福島県は広いから会津になると山国であり2000メートル級の山がいくらでもある。
でも浜通りからすると何か遠いのである。
交通的には電車だと二回乗り換えがあり遠いと思った。
盛岡は今は新幹線で50分だから本当に近い
距離的には遠くても交通としては近いのである
距離は今や交通の便に左右されているのである。
だから東京だったら外国の方が飛行機で何時間だとか外国が近いと思っている人もいる。この辺は電車が仙台まで通らなくなったので仙台が遠くなってしまった。
何かバスだと億劫になるのである。
ても車がある人は車で仙台に結構行っている。

吾妻連峰をきれいに見えるのは霊山の高い所に登った時見える。
山はやはり高い所に登って見るときれいに見える。
山は別に苦しい登山をしなくてもきれいに見える場所があればそこまで行けばいいのだ。ただそれか意外と地元の人でないとわかりにくいのである。
富士山は見る場所によって相当違っている。
プログの写真で雲が沸き上がって真っ正面に見える冨士が良かった。
バイクで旅しているのとあっていた。

3ab31708-s[1].jpg

湧き揚がる雲やバイクに夏の冨士

写真でもなにかうまく迫力あるものがとれる。
冨士を見ながらバイクを飛ばしている感じがでていた。
ここのプログがどこかわからなくなった
写真一枚拝借したがわかればリンクする

電動自転車でひさしぶりで今回霊山に行ったけど体中が痛くなって寝ていた。
もともと自分は若いときでも自転車旅行すくる体力もなかった。
登山でも体力がないから消耗する度合いが大きいのである。
今回はすでに老化であり筋肉が異常に疲れるということがある。
結局苦しい登山でも何でも若い内にやらないとやれなくなる。
海外旅行の一人旅でもそうである。
辛うじて50歳からしたがこれもさんざんなめにあった。
人間はどうしても若い内しかやれないことがある。

全身全霊をもって事にあたれ
若き日に全力を尽くして悔いなかれ
汝もまた老いの早かれ
全身全霊をもって果敢に挑戦せよ1
力あるうちに力を尽くせ
老いの早きを知るべし
成しえることを成さずして終えるべからじ
老いればもう成しえざりき
夏の雲が沸き上がるように
青春の日の再び蘇らむ

人間は老いるのか早い、自転車でも何台か買っても使っていない、使えなかった。
バイクに老人が再び乗っているのもわかる、青春時代に乗った快感が忘れられないのである。だから金があると一番いいバイクに乗ってみようとなる
若いときは金がなかったから乗れなかったバイクに乗ってみようとなる
でもその乗る時間がすでに限られているのである。
だから高価なバイクを買っても意外と乗る度合いが少なくなる
車でも75過ぎの人が運転してる人を知っているがだんだん運転がてきなくなるとき恐怖である。
田舎では車が運転できないと相当に不便になる。

自分も自転車で買い物できなくなることが恐怖だった。原町とかにここから行く必要があるからだ。それで原付バイクの免許をとる勉強をした。
でも原付は何か普通のバイクより危険なのである。
同じスピードで走れないからかえって危険である。
路側帯も走れないのも危険だと思った。
それでもだんだん電動自転車でも疲れが激しくなると乗れなくなる
老人になると金があっても物を買っても使いこなせないということになる
若いなら別に苦しい旅でも自転車はいいものでなくてもバイクでもできる。
つまり体力あれば金がなくてもできるということがあったのだ。
金があっても体力がなくなればできなくなることか多いのである。


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