冬の雷老の一徹貫かむ
昨晩は真夜中まで起きていた。雨がふり雷がなり弱い地震も感じた。雷となると春もあるし夏もあるし四季を通じてあるが冬の雷と春の雷はめずらしい。冬の雷について俳句を作ったことはない、俳句はだから季語を一つのテ-マにして創作する文学なのである。老人というと頑固さがある。これは柔軟性がなく依怙地になるという悪い面もある。一徹を貫くということは実際は老人になったからできるものではなく若い時から一貫して追及するものがありそれが一徹となることは悪くないのだ。それは自分の信念を貫くということでもあるからだ。
今朝は雪降った。ただ寝坊したのでわからなかった。雪が畑に残っていたし山には雪がふり雪化粧していた。
今朝の雪残れる畑の野菜かな
冬菜となるのだが二つの季語は入れない方がよいから野菜にした。今年は結構寒くなるのか、12月にしては例年より寒いのかもしれない、冬は冬で好きである。冬は回想の季節なのだ。いろいろ回想するから書くこともふえてくるのだ。やはり冬は静かに家にこもり回想するのに向いている。だから冬は静かな環境が必要である。都会では冬の感じがでない、あまりにも騒々しいからだ。
http://www.musubu.jp (本サイト)
http://www.musubu.jp/2004dairyhaiku4.htm 過去の「今日の一句一首」ログ
2005年12月05日
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