秋の短歌(津波から三年半過ぎた心境の短歌)
津波跡残れる庭の石一つ形見と残る秋の夕暮
海老村の津波に消えぬ沖を行く船影見えぬ秋の夕暮
津波跡残る形見や一本松沖に船行く秋の夕暮
津波跡なお残りし家の跡秋風吹きて海の見ゆるも
我が庭の石に心をよするかな虫の音かすか母なお生きぬ
我が庭の山茶花はやも咲きにけり薄紅のほのかなるかも
蝉一つなお鳴きにける我が里やその声聞きて秋の夕暮
厚寿苑我も通いめあわれかな老いにし人や秋の山暮る
仮設住む人も長きや虫の鳴く隣を思い小高を思ふ
真野川の岸辺に薄なびきつつ三年半過ぎ仮設も暮れぬ
津波はあまりりにも大きな変化でありこの影響は大きすぎたから例え被害にあわなくてもなかなか消えるものではない、ただ荒野化した景色でも長くなればなじんでくる。
海老村の跡が草に埋もれ沖に船が行くのをいつも見るようになった。見晴らしがいいから船も違ったように見える。荒野と化した風景は自然に還ったのだから余計に心にしみる。
海老村はあまりそこにあることを意識していいなかったが津波で消えた時、常にそこが意識する場所になった。右田村は家が少ないし散在していたからそんなに思わない。
ここには家が集中していたから違っていたのである。ここはまた高いから見晴らしが良くなったから眺めがいいから何度もくるようになった。人間は見晴らしの良いところを好むのである。
自分は石をテーマとしてきた。津波跡にも石が残っている。庭の石が残っているのもあわれである。でも石はかたずけられたのが多い。母が百歳まで生きるだろう。どういうわけか山茶花がすでに咲き始めた。
何か季節がおかしくなっているのかもしれない。今年は結構咲いているが冬はまだ早いのである。
厚寿苑は近いから通えるのがいい、近くに施設があるのはいい、利用しやすい、車がないから余計にそうなのである。何か老人になると近くがなんでも大事になる。
だから便利なのは都会の方である。近くにいろいろものがそろっているし人口も多いからいろいろなサービスも受けられるからである。都会の老人を田舎に移せといういうが田舎だと不便になるのだ。
土地がないからやはり街から離れたところに住むようになるからだ。
ともかく仮設暮らしももすでに三年半過ぎた。仮設に住んでいる人はどなん気持ちなんだろうと思う。
仮設は長屋とにている。隣を意識せざるをえないだろう。一軒家とは違うから江戸時代の長屋とにているのだ。だから隣同士が親しくなるということもあるだろう。また隣が嫌だということも反面はある。
小高はあと一年半以上いるとか五年もいるということは長いと思った。
実際は小高は帰れるのだから帰ればいいというのが鹿島区の人は思っている。
補償金をもらうために仮設にいるだけだと言っているし自分もそう思う。
小高に帰る人は帰るでそこでの生活を始めた方がいいし帰らない人は帰らないで新しい生活をはじめる。
いつまでも仮設に補償金もらうためにいるのはおかしいのである。
ただ帰るにしても何かニートとかもともと働かない人もいたがそういう人は帰っても何にも役にたたないだろ
やはり小高に帰ったら前とは違い人口が半分とかなると何らか町を支えるために働かないと町自体が成り立たないだろう。だから仮設暮らしはニートとかにとってはいいものだったのである。
小高に老人だけ帰ってもこれまた町自体を支えていけなくなるだろう。
そういうめんどうなことをしたくないともうあきらめて帰らないで原町とか鹿島に家を建てた人もいる。
いづれにしろ帰る人と帰らない人は全く別の道を行くことになる。
もう心も別々に分離してしまう。一方小高に帰る人は連帯感をもつようになるだろう。
なんとか小高を復興させようとすることで連帯感をもつようになる。
真野川の岸辺に薄がなびいているがここを仮設の人も毎日通っているから親しんだ道となる。
人間はやはり時間がたつとなんでもなじんでくる。仮設の風景もなじんでくるし
津波の跡の荒野でもなじんでくる。三年半という歳月はそれなりに長かったとなる
五年はさらに長くなりいついた感じにさえなるだろう。
そして小高であれ双葉であれ浪江であれ飯館であれ遠くなってしまう感覚になる。
それは時間が長くなればなるほどそうなってしまうのである。
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