2014年10月02日

帰る人と帰らない人で分断された原発避難者 (津波の被害者も残る人と残らない人に分断)


帰る人と帰らない人で分断された原発避難者

(津波の被害者も残る人と残らない人に分断)

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小高の人で鹿島区に家を建てた人にあった。家を建てたということは小高に帰らない人であり小高の復興をどうのこうのとは関係なくなっている。自分はそんなことめんどうだからまざらないと言っていた。
ということは小高に帰るということが嫌でありめんどうだからである。
だから今は避難者は二つに分断されている。
帰らないで他に生活をしていて子供が友達ができたとかになりその土地に定着するようになるともうその人は帰らない、それは宮城県でも岩手県でも津波の被害で町自体が壊滅したような地域も同じである。
若い人は流出しているし残るにも残れないという人もあの状態を見たらそうなる。
商売はじめようにも買う人もいないとなるとお手上げだと菓子屋の人が言っていた。
ただそれでもそこにとどまり住みたいという人はいる。
それは二つに明らかに分かれる。残る人と残らない人はそれぞれもう違った道を行くことになる。
残る人はより困難な道を行くのであり残らない人もまた他で生活するのだから厳しいともなる。
どっちにしろ二つに分断されて一つの町の住人ではなくなっているのだ。
これまではでは一つの町や村の住人として連帯意識をもっていたかというとそんなことを意識して生活はしていないだろう。

現代の社会はみんな会社員だとすると会社員という意識はあっても村とか町とか市の住人だという感覚は薄れている。
今回の津波とか原発事故はそういう市町村の住民として意識させられたのである。
補償金をえるためには他の市町村に戸籍を移すわけにはいかない、すると住民税などを払わないから避難者は嫌われる。
南相馬市では小高の人も南相馬市民だから原町に住んでも小高に住んでも同じであり税金は南相馬市に払うから他とは違っている。その点合併して良かった面である。
南相馬市でも原町と鹿島はやはり家を建てた人がそれなりにいてその分人口を減った分穴埋めできる。
もう小高の人でもみんな帰らない、帰る人はいろいろめんどうでありそういうことが嫌だというのがある。
特に高齢者は老人はそういう気力もなくなっているのだ。
老い先短いということは何かめんどうなことにかかわりたくないということがある。
静かに死を迎えたいとなる。老人はいざこざやもめごとにも弱くなる。
切れる老人が起こる暴力ふるう老人が増えたというのも老人特有の心理が働いている。
いろいろなめんどうなことにかかわりたくないということがある。
病人のように安静にさせておいてくれとかだけになってしまうのである。

小高復興祭とか18、9日あるから何かそういう復興の準備が整って帰るのかと思ってしまうが現実は帰る人と帰らない人に分断されているのだ。必ずしも小高を復興しようとする意気込みある人は少ないのだろう。
高齢化社会が影響していることもある。老い先短いのにその復興にどれだけの労力と時間がかかるかとなると面倒になるのである。
でも帰る人は復興を目指すからそこでは連帯意識が前と違ってもつようになるかもしれない。
帰る人は前とは違って不便な困難を強いられるからである。
鉄道の駅も回復しないしいろいろ不便になるし浪江が避難区域になっていることで嫌だというのもある。
だから帰る人は少数になってしまうのだろうか?
あと一年半くらいで避難区域が解除されると否応なく帰るのか帰らないのか決断が迫られる。
小高の人も新しい復興住宅に入っている。今度できた墓地の前の団地にも人が入り始めた。
復興住宅に入ればまた小高に帰らなくてもいいとなる。

要するに小高に帰る人は復興の意気込みのある人は少ないとなる。
チェルノブエリでは老人だけ帰り細々と野菜などを作り生活していた。
避難区域は浪江でも飯館村でもそういうことになるかもしれない。
今になると帰って住むことがハードルが高いのである。
それは津波の被害地域でもそうである。
何もない町に帰ってももう絶望してしまうのである。
小高には高校があって仮設の高校から移るらしい。
でも小高駅が回復していないと通うにどうなるのかと問題がある。
町全体が崩壊するとそれを元のように取り戻す回復することはむずかしいものとなった。
村や町でも市でも当たり前にあったのでありそれをことさら意識する人はいなかった。
普通にあるものが大事なものだと意識されないのである。
それは家族の場合でもそうである。妻がいつでも食事を作ってくれる。
妻が死んだ結果全部自分で料理も作らなければならない
それで大の男が泣いたというのもわかる。
自分もそうだった。毎日食事はあるものだと思っていたのである。
今や今まで食べていたものは食べられない、全部自分で用意するほかないのである。
だから今になると食事を用意してくれたことはありがたかったなとつくづく思い
そのことに感謝する。
今までは普通にあるから感謝もしないのである。

何か人間にはそういうことがある。当たり前にあることはそれに感謝したり意識しないのである。
もしかしたら米をとることでも野菜がとれることでも魚がとれることでもそれは特別なものであり感謝すべきものだったのかもれない、そういうことができなくなったとき感じた人が多いからである。
神が海の恵みを与えるのはそれは実際は特別なことでありだからこそ感謝しなけれはならない。
それを米でも魚でもそれはとれるものだと普通にあるものだとなり当たり前になり軽んじる、あまりにも当たり前だから意識もしなくなる。それは妻でも空気のような存在になってしまうと同じである。
いちいちそうした空気を意識していたら生きていけないからである。
ともかく今の世の中広域社会だからどこどこの村や町や市の住人だなどと意識している人は少ない、村長とか町長とか市長なら絶えず意識している、それなくしてその役職にあることはできないからだ。
ではその他の人たちはそんな強い住民意識をもつかというともたない。
江戸時代の村辺りだったらそうした意識をもっていただろう。
それは今の社会とはあまりにも違っていたからである。
今回の津波や原発事故は今まで考えないこと意識もしないことが浮き彫りにされたのである。
故郷ととは何かなど考えた人もいないだろう。故郷は空気のようにあるものだった。
それがなくなる住めなくなるということなど考えようもなかったのである。
そこで始めて故郷は何かとか考えるようになったのである。
接辞に故郷が恋しいとかもなった。それは別に哲学者でなくても一般人でもそういうことを意識させられたのが今回の津波や原発事故だったのである。
タグ:小高
posted by 老鶯 at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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