母が国から百歳になる賞状と記念品もらう
この賞状は国から贈呈された。百歳になると市と県から10万もらえる。
でも来年2月が誕生日だからそこまで生きたらもらえる。
それまで死ぬということもありうる。
今のところトイレにも行っているしわずかでも自力で食べている。
だからぎりぎりで生きるのかもしれない
つくづく人間の寿命は99歳になってもいつまで生きるかわからない
つまり人間の寿命は神が決めているという感じにもなっているのだ
東大を出て柔道何段とか特別優秀な医者も40代で死んだとか
そういうことになぜなるのかわからない
人の寿命は本当にわからないのである。
時分の母親は細身であり体が弱かった。ただ学校を一日も休まなかったとか
製糸工場で十年働いた。真面目で働きづめの生涯だった。
どうして長生きしたのか?
食べ方を見ていると食べ物をゆっくり良くかんで食べている。
真面目に食べ物もよくかんで食べている。
趣味はなにもない、働くだけだった。
だから庭はいらないとか花にも何にも興味がない
ただ金をかせぐために働いた無味乾燥な一生だった。
そういう人生を歩んだ人が大正生まれとか戦前は多い。
結局母は不運だった。前の夫は事故で死んだのもそうだし嫁いできてもそこでいい待遇はなかった。子供のときは継母に育てられひどいめにあった。
いいときは幼い時は裕福でありその時だけだった。
大正生まれはそういう人が多い
苦労の連続であり楽しみがなかったのである。
ただ人間のわからないのは皮肉なの80までも仕事をしていたし90までも家事をしていたのでそれかボケにならない理由だったと思う。今はボケている。
93さいころまでは銀行のこともいろいろわかっていて普通だったのである。
趣味がなくてもボケないということがある。
仕事をもっていることそれか家事でもしているとボケる割合は少なくなる
そこで自分の家でも役割があり生きがいにもなるからだ。
家族の一人は退職して何もせずにいたらボケたのである。
だから人間はそんなに働かせられて不幸だということもあるがそうして90まで家事でもしていたからボケなかったというのもつくづく人間は何が幸不幸を決めるのかわからないということなのだ。
金が有り余ってもそれで強盗に入られて殺された人もいるし金持ちがみんな幸福ともならない。優秀な人間が幸福ともならない、優秀であっても事業に手を出して失敗した人もいる。
ただ言えることは人間はある程度忍耐を強いられる、犠牲を強いられる人がいる。
それに不満だからみんな今は耐えることがない、すぐに離婚して母子家庭になり貧困家庭になり子供に迷惑をかける。
大正生まれだとか戦前だと嫌でも忍耐したし強いられたのである。
現代はともかく格差社会ではあるが他人をうらやむことが多く平等を求める。
貧困になる原因が離婚にあるのは明確である。
なぜなら10万を二人でかせいでいれば20万になるが一人だと10万になるからやっていけないとなる。
知っている人は離婚してすぐに生活保護になりすでに十数年生活保護でありそれでもいつも文句を言っている。
その人は金がいくらあってもやりくりができない、だからその人に貧困になる原因もあった。
要するに人間の事情は様々であり生活保護でもみんなそうである。
だからすべてを一がいに同情はできない、ただ子供がかわいそうだとは言えるから援助している。
百歳もこれから増える一方である。ただこれがいいのかどうかもわからない
むしろ生まれた人に一人百万くらいやれば少子化対策になる。
だから百歳だったら昔はもうありえないという年齢だから奇跡的だったともなる
今はその価値か下落しているのてある。
ただ百歳を生きる社会というのがどうなるのか?
個々人でももし普通に百歳を生きるボケないで生きることの意味はどうなるのか?
高齢化社会とは今でありえないことを経験する時代でもある。
とにかくこれから百歳もめずらしくならない時代に突入していることは確かなのである。
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