2014年09月07日

秋に故郷を想う 厚寿苑の建物はいいし見晴らしもいい


秋に故郷を想う

厚寿苑の建物はいいし見晴らしもいい

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土色の壁に映えにき木槿かな

厚寿苑に大正生まれなお生きて小高の昔語る秋かな

故郷に住みて老いにし女あわれその皺深く秋となるかな

山の端に夕陽の没りて塩崎船着の名や月もい出にき

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厚寿苑はできたばかりでありまだ歴史がない、あそこは建物がホテルのようになっているから気持ちがいいし見晴らしもいい。
厚生病院は古くなっているし見晴らしがよくない、介護とか自分の病気とかになって病院とか福祉施設を利用することが多くなる
現実に南相馬市立病院に一か月入院したし相馬総合病院に二週間入院した。そのことをプログに書いた。
建物も人間に相当影響する。ただ建物でも見晴らしがよくないと活きてこない。三階建てとか高くなると田舎では見晴らしがよくなるから気持ちがいい。
人間は見晴らしのいいところで解放感を感じる、病院とか施設でもやはり見晴らしがいいところに入りたいとなる。
南相馬市立病院は見晴らしが抜群だった。相馬総合病院は迷路であり古くなっているから嫌だった。ただ専門の医者が三人で担当していたから良かった。

ともかく厚寿苑は建物はいいが働く介護士は外部の人である、ただ福島県だと同じ方言でなまりがある。岩手県もいても福島県一番多い、介護士の仕事は何か決まり切っていて工夫のない何かスキルが身に付く仕事には見えないから誰でもできるようにみえる。看護師になると注射や点滴などがありスキルを磨かないとできない、この世の中誰でもできる仕事は価値がない。
この世の仕事はスキルがみんな必要であり経験を積まないと一人前に離れないのが多い。
介護士が低くみられるのはそういうことがないからである。
看護師には給料が高く誇りもあるが介護士にはない、介護は自分もしているから誰でもできるのである。
仕事は危険だったり難易度が高くなると給料も高くなる。
ただ土木建築関係では危険でも安い、それでも型枠大工とか鳶とか技術が必要になるのは高くなる。

人間の社会は必ず昔があって今がある。動物は一代で終わり昔がない、ただ一代でも歴史はある、飼い猫だったもの捨てられて拾われたというときあわれだとかなりその猫にも過去があった。
ただその猫の話は伝えられない、伝えるのは人間になる。
だから猫にまつわる話は人間を通じて伝えられるのである、それも人間の歴史となる。

人間は常に歴史を刻んでゆくものである。昔があって今がある。
今があるのは昔があるからなのだ。そういう昔は土地と結びついているのである。だからその土地から切り離されると伝えにくくなるのである。
だから避難して住まなくなったら歴史も失われる。
人間を語るとき、お国はどこですかとなりその人が何をしてきたかが問題になる。狭い範囲でも村々で自然環境も違っているから同じなのである。村々には地形的にもそれぞれ特徴がある。
それは日本人がそれぞれ土地で自給自足的生活をしてきたからである。
だから鹿島区でも屋形とか栃窪でも塩崎村でも特徴があるしそこで感じるものが違ってくる。いなかにはもともとそうした多様な生活があったのである。それhその土地土地で生きるとなるとその土地土地活かして生きるほかないからそうなったのである。
それは会社とか工場で働くのとは違っていたのである。

塩崎村に秋の夕陽沈み月がでる、あそこの特徴は船着という地名があり塩崎というように海だったのである。
だから津波で船が流されてきてその船着近くまで津波で海水をかぶったことに驚いたのである。
海があるところは海から月がのぼり映える。
あそこもその土地柄で情緒を作り出している。あそこの森にはまだ蝉が鳴いている。屋形にも森があり秋の蝉が鳴いている。
屋形はこの辺では一番古い場所である。
                       
タグ:福祉
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