2014年09月06日

芸術の基本は俳句も短歌も写生である (津波原発事故で事実が写生が驚くものとなった)


芸術の基本は俳句も短歌も写生である


津波原発事故で事実が写生が驚くものとなった)


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竜胆の紫に薄紫のそえて咲き我が家の内に争わざるかな


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枯蟷螂ミイラとなりて机の上


朝日さし隣の庭に揚羽蝶花めぐり舞いつつ去りて花は映えにき

女郎蜘蛛窓に巣を張り隣家の庭の花には揚羽蝶とまる

竜胆の紫に薄紫のそえて咲き我が家の内に争わざるかな

故郷に住みて老いにし女あわれその皺深く秋となるかな



短歌とか俳句の基本は写生である。なぜ写生なのかというと自然界でも人間界でもありのままが実は驚くべきものだからである。
窓に女郎蜘蛛が巣張っていてその向こうに隣の庭が見えて花に揚羽蝶が舞いながらはいり花に止まっている。
この情景そのものが驚くべきものなのである。
女郎蜘蛛は不気味であるこの世は不気味なものであれ花であれ
美的なものの中にあることが特徴なのである。
女郎蜘蛛が嫌だとしても視界に入り避けることはできない、この世常にきれいごとでは済まない、不気味なものでも嫌なものでも混在しているのである。

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枯蟷螂ミイラとなりて机の上

これも写生そのものである。なんだそれだけかとなるがこれも写生でありそのままが一つのリアリティを示している。
俳句はもう短いからこれ以上端的なっ写生以外文字を入れられないのだ。その点短歌はまだ長いからその人の独自のもの「ものの見方が読めこめるのであるq
だから俳句のほうが解釈は難しい、だから俳句はその俳句を鑑賞している人が鑑賞力がないと評価もされないことはありえるのだ。
うまり俳句のほうが月並みな平凡な俳句が量産されやすいのである。


写生の俳句であれ短歌であれ今やデジカメやスマホや携帯で即座にとってプログにアップする時代である。
だから写生の俳句や短歌はインターネットで興隆しているがまだ評価はされていない。
今や文章だけではない、写真が日記代わりにもなる時代である。
だから写生の時代であり俳句短歌も写真なくしてありえないのである。

いずれにしれこの辺はありのままを写生しても驚くべきものとなってしまった。だから別にテレビのように視聴率をとるために工作する必要がなかったのである。
ありのままが驚くべきものとなっていたのである。
文学でも絵画でも基本的には写生がある。
芸術の基本は写生なのである。
(事実は小説より奇なり)をこの辺で体験してきたのである。



タグ:写生俳句
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