2014年09月03日

日立木の秋ー俳句十句(蔵に松に菊に月ー鉄道の写真)


日立木の秋ー俳句十句

(蔵に松に菊に月ー鉄道の写真)

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無効に蔵がある



夕暮れや実りに松の五本かな

蔵ありぬその家の前実りかな

蔵二つここに落ち着く実りかな

菊畑この家の古く蔵二つ

庭広く蔵の二つや松に菊

この家の松手入れして菊花かな

浜街道日立木通り秋の蝉

山翳り薄なびくや鉄路かな

電車去りその間や長く月光る

夕月や風にそよゆる糸薄

夕暮れや二両の電車に薄かな

ハマヒルガオ線路の脇に名残かな

夕月や日立木にとまる電車かな

雁二羽の飛び去り夕べ月光る

電車来て山鳩二羽や実りかな


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相馬市方面から来る二両の電車

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日立木は無人駅である



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これはハマヒルガオだからめずらしい、海はここから結構遠い



相馬市に来ると今までどおりの風景である。実りの風景は当たり前であり実り風景がないなど江戸時代の飢饉の時でもなかったろう。米が全部だめになったとは思えないからだ。南相馬市になると原発事故で原野化しているから実りの風景はない、草茫々の世界であるだからどうしても心まで荒廃してしまう感じがする。
別に草原の風景はモンゴルなどではある。その草原とはこれは違っている。
実りは単なる景色ではない、生活していける実りなのである。
だから蔵があり家の前の前田に実る風景は単なる景色ではない、そこで生活できる風景なのである。

昨日一昨日と回ったのは日立木の街道からそれた鉄道の方へゆくほうである。
浜街道からその鉄道の線路は近い。
相馬地方では原町駅から相馬市までは常磐線は通っている。
原町ー鹿島ー日立木ー相馬市は二両の電車が通っている。
一時間から二時間感覚で出ていることはでている。
でも今までは八両だったから二両の電車だと感覚的にずいぶん違う。
八両の電車は仙台まで通じていた。仙台まで乗る人が多かった。
それが今は相馬市が終点でありそこで乗り換えてバスで亘理まで行きまた電車に乗り換える。それがめんどうなので今は直通で仙台に行くバスを利用する人が多いし自分もしているが最近めんどうだし忙しいから仙台にも行っていない、でかけるのが億劫になっしまう
自分は鉄道が好きである。旅行はまず電車からはじまっているからだ。
全国の路線をほとんどのりつぶして残されたのは私鉄くらいである。
関西の私鉄は多いし面白いから乗ってみたい、ただこれもきりがないということがわかった。外国でも電車にのったから十分だとは言える。
まず一生がそうした乗り物であれ旅に費やされたのが自分だった。
これだけ旅をしてもまだまだ旅をしていないところはいくらでもある。
それだけ世界は広いのである。

結局人生とは何かと言ったら何に時間を費やしたかで決まる。
働こうがこうして遊ぼうが実は人生の経験には変わりないのかもしれない
遊んで暮らして恵まれていたなとか言われるが今ではフリーターとかニートとか働かない人の数が半端ではないからこれまた働かない人が普通に大勢いる時代なのである。
高度成長時代に馬車馬に企業戦士としてほとんど全部が働いていいたということも異常な側面があったのかもしれない。
高度成長時代は経済成長はあっても文化的には不毛だったような気がする
ただふりかえると音楽は庶民の歌謡曲であれ演歌であれフォークソングであれいい落ち着いた歌があったからそこが文化だったのかもしれない。
]今の音楽はすでに日本的情緒もないし音楽部門では衰退した。
だから今になるとあの時代の音楽がなつかしいとか聞いている人はいる。
それは単に昔が懐かしいのではなくいい音楽が多かったのである。

鉄道の思い出としてはいろいろあるが常磐線は仙台までいつも乗っていたからある。
ただ沿線の風景は見慣れると特別なものには思えない、通勤している人もその風景を特別だとは思わない、でも津波で鉄道が流された時、なくなったとき思い出すことになる。
新地駅や山下駅などが流されてなくなったからである。
新地駅はあそこで必ず列車交換で待ち合わせるから五分ほどとまる
そのとまる時間が鉄道では思い出になる不思議がある。
あそこは一番海が近く海が見える場所だった。ただいつも新地の海岸の集落の方を見ていたのである。

新地駅電車とまりて蛙鳴く夏の夜なれや今はなしかな
新地駅電車とまりて虫の声村のともしび今はなしかも
新地駅消えにけるかな村も消え浪打ち寄せる冬の海見ゆ
新地駅なきしも哀し三年過ぎ津波に流さる人の待つかな

津波に家を流されたあの新地駅から見えた釣師の浜に住んでいた人と相馬市の病院であった。津波の被害者はこの辺ではあうことが多い。それだけ広範囲に被害があったのである
今回秋になり鉄道の線路を歩いた。今はあそこを歩いても危険はない、そして何か薄もなびき月もでて電車が去ったあとにしんみりとする。それは二両の電車でありあまり走らないからそう感じるようになったのである。前はなかなか鉄道の線路を歩むことはできなかった。結局二両の電車になったとき、人間的になったという不思議があるのだ。
二両の電車はより自然を感じるという不思議である。
機械化すると人間的なものは何でも排除される。機械とは時間をに性格であり勝手に休んだりはしない。人間のリズムはそもそもそんな機械的なものと合わないきまぐれである。だから休んだり遅くなったりすることが人間的になる自然と融合する時間になるのだ。

今日は実りがあり月が出て薄がなびき秋を感じた、これは日本の秋であり普通にある風景である。ただ南相馬市にはないからこの実りの風景が新鮮なものになる。
どうしても南相馬市の方は荒廃している感じになるからだ。
でも放射線量からすると相馬市と南相馬市はさほど変わりないのだから補償金などがもらえないことで相馬市では不満があるだろう。
でも今まで通りで実りがあり普通に暮らしていけるということで平和を感じたのである。







 
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