2014年08月06日

厚寿苑にショートスティで出会った認知症のばあちゃん (はたかれたというが・・・わからない)



厚寿苑にショートスティで出会った認知症のばあちゃん


(はたかれたというが・・・わからない)


母と同じ部屋のばあちゃんは認知症なのだろう。認知症といってもいろいろあるからわかりにくい。どこの人かと聞いたらと大甕でといい、北原に住んでいた。
家の前まで津波がきたけど家は助かったという、その助かった原因が前に竹藪があったからだと言っていた。そのことは相馬市の新田でも聞いて書いたことがあったので
竹は根が強く張り津波に強いことは間違いない、川岸に竹を植えるのは水害を防ぐためだというのも大原の人から聞いた。竹は津波には強いといかことが明らかになったから
津波を防ぐ方策の一つとして竹を植えることが選択される。

そのおばあちゃんは萱浜に姉の一家が住んでいた。ただあまり良くされていなかった。
海で魚をとっていたがその魚を分けてもらったことがない、新鮮な魚はうまいのにといろいろ不満を言っていた。それで今回のその姉の家が全部流された、姉も死んだ、良くしてくれないからそんなことにもなったとか言っていた。
その人の姓はわかりやすいので自分は実際に知っていたのである。
めずらしい名前だと思って記録していた。その姓は萱浜の墓地で発見したのである。
そこは海がすぐ近くの場所だったのである。天保の墓があると書いたプログを読めばわかる。
ここではその人が誰か書けないがそれで驚いたのである。
地元だとそんなふうに身近だから誰のことを言っているのかさえわかることがあると思った。ある人は町の人が全部親戚のようになっているのが田舎では普通にある。
自分はないがそういう場所が田舎なのである。
なんらかの血縁関係でも結婚してもつながりがたどれるのが田舎である。

そのばあちゃんは何歳かわからない、認知症であることは確かなのだろう。
ただこの認知症のわかりにくいのはそれが完全な痴呆とは違う点なのである。
いわば後天的になった老化でなった痴呆でありこれまで生きてきた記憶は保持していて
そのことを語る時は正常なのである。
だから津波のことや姉のことを語る時は正常なのである。
実際にどういう関係の人かも知っている。
だから魚を分けてくれなかったとか自分を馬鹿にしていたとかしきりにいう。
そういうことは親戚関係でも常に普通にあることだから変わったことではない。

そのばあちゃんは巳年(みどし)生まれであり部屋に蛇がいたときも殺さないでとって近くの川に流したとか猫が車に引かれた死体を山に埋めてきたとか言っていた。
だから私にはいいことがあるんだよとかしきりに言っていた。
そういうやさしいおばあちゃんでもあったのだろう。

ただ非常に気が強いばあちゃんである。何か勝気な性格である。だから歌を歌ったりしていた。相馬流山などを歌っていた。私は何でもしてきたんだよとかいろいろ言う。
それで一人でいる時は壁に向かって一人で話している。お客さんを一人で迎えて一人で話ししているのである。だから淋しくないという。それはやはり認知症の症状なのだろう。それで「私は頬を強く何度もたたかれた」と言っていたので驚いた。
そして今度たたかれたらこんちでも黙っていない、私は力があるんだからと手を握ってみろと言ったから握ってみたら本当に体は小さくても力がある。
認知症は馬鹿力を出すことがあるということがあり暴力になると扱いにくいとか聞いている。
自分も気の強い女性を身内の認知症を介護したからそのことはわかっている。

では一体誰に叩かれたのか?ここの施設の人だと言っていた。
男の人でありその真意はわからない、私はそういう人は寄せつけないとか言っていた。
私は一端嫌ったらよせつけないんだよとしきり言っていた。
これも認知症の人は嫌った相手をよせつけないということがあるからそうなのだろう。
ただでは本当に叩かれたのか?こういうばあちゃんだから扱いに困り叩いたのかもしれない、でも強くたたかれたというから嘘でもないみたいであるがわからない。
認知症で気が強い人は扱いにくいから叩かれたりすることがあるかもしれない。
暴力をふるうからそうなることもありうる。
ただこうして叩いたりするともうその人は介護することができなくなるだろう。

ともかくこの辺の問題は介護士でも外部から来た人であり地元の人と話し合うということはむずかしいだろう。どこに住んでいたといっても外部の人だったらその土地のことがわかりにくい。この土地のことも例えば相馬流山のことも知らないだろう。
もし知っていたら一緒に歌ったりしたらかなり喜ぶだろう。
それが認知症の治療につながっているのである。
認知症を相手にするにはその人を知ることが大事になるがこれが外部だと余計に簡単にはできない、認知症は別に地元でなくてもその人がどういう人か理解することがかなり大事である。でないと話しも通じないし介護もしにくくなる。
それはなかなか若い人にはできないだろう。
つまり認知症の介護には精神的な面でのサポートが大きくなる。
ただ身体的介助だけではないからめんどうになる。

いづれにしろ新聞で読んだが外部の労働者が病院でみてもらっても診療費を払わないので病院で困っているとか外部の人が大勢来ることでこの辺はまた問題が起きている。
外部から入ってきてだます人もいるから注意しろとか警察でも言っているとかでもそうである。
つまり外部から人がこのように大勢入ってくるとこのように問題が起きる。
老人の介護問題でも起きるということがある。
厚寿苑では小高の中学生が研修していたのも不思議である。
中学生が介護施設で研修しているのか一人だけしていたのも不思議である。
小高の人は働かないと不満を書いていたから不思議だった。

ともかくこの辺はあらゆるものの問題の場所になっている。だからそれに対応するのが大変になる。老人施設でも建物を建ててもそこで働く人が問題になる。
その人が地元では確保できない、それでもボランティアでもできる仕事が介護施設にはある。なぜ中学生が研修していたのか、つまり中学生すらできることが介護にはあるということなのである。食事を運んだり車椅子を押したりは誰でもできるからである。

介護施設でも外部の人が入ることは大事である。別に厚寿苑は家族が出入りしていているし外部の人が入っている。ただ介護士はほとんど外部の人ということなのである。
そのばあちゃんははたかれても何もいわないよ、わたしは人に何を言われても争ったりしないとかそんなことを言うと問題になるから黙っているのがいいんだとかしきりに言っていた。そのことを言うことで波風がたつことを嫌がってそういっていた。
それも認知症にしてはまともなことなのかとも思う。
ただ現実に老人ホームでは虐待は起きている。病院でも起きている。自分も虐待とまでいかなくてもそれとにたことをされている。
おそらく表に出ない虐待は日常化しているかもしれない、それは老人ホームでは施設では一番起こりやすいからそうなる。認知症の人だと余計に扱いにくいから起こりやすいだろう。だからこの真意はわからないのである。
タグ:認知症
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